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現実と理想のギャップ

気づいたら2019年もあと100日を切りそうで
やっと蒸し蒸しとした暑さが和らぎ秋の風がやってきた。

最近ずっと体調が悪かったのは暑さのせいだと思っていたが、おそらく長くから自分が抱えている持病的なものが原因であることを涼しくなってから実感した。

私はなにかと現実逃避をすることが得意だ。
いや、むしろ現実逃避は人間に属する帰巣本能で誰もが持っている思考癖だ。

醜い現実と向き合いたくない、楽しい未来や空想を考えて何度も何度も同じところをいったりきたり。

期待したり絶望したりを繰り返している。

最近、小栗旬主演の太宰府の『人間失格』を見た。

古い文学というものの本質は愛や憎しみ、人生の辛さ、恋への尊さみたいなものを現わしているものが多いということを大人になって知った。

なぜなら、実家には本は一冊もなかった。
唯一、母が買ってきたのは、乙武さんの本となぜか面白半分で買った『完全自殺マニュアル』のみだった。

とにかく太宰府はダメ男だったが、登場人物としてでくる女性3人が様々な個性を放っていてすごくコントラストがはっきりとした作品だと思った。

太宰の最初の愛人のちずこ。本妻の美知子、最後の愛人の富栄。どの女性も違う強さを持っていて、なんだか現代の女性の多様な生き方を、全力で肯定してくれているような気持ちになった。

一方で、太宰府は自分の作品の限界を感じながら女たちと自分に翻弄される毎日を送っているのだがこれがまたいい。なんかこう機械的に日々を過ごしているのではなく、まじまじと迫ってくる現実に必死に向き合いながらも現実逃避を繰り返す毎日。

なんか生きてるって感覚がしたんだろうなと思う。
特に作家は自己への自惚れを美学として書物を書いたり表現したりするプロだが、流石に一緒に死のうっていうのはいきすぎているが、あれだけ男前の依存性の高い男性にそんなことを言われたら、自尊心の低い女性は自分の自尊心を激しく満たしてくれている疑似体験に虜になってしまうのではないのだろうか。

太宰府はそんな魔力を持った、現代でいうメンヘラ製造機だったのかもしれない。

最近、ちょこっと婚活をかじる様になって思ったのだが、自分と全く同じタイプの人間はなかなか波長が合わないときつい。

もちろん似ているからこそ心地いい瞬間もあるはずだが、手に取るように自分の嫌な部分を相手に投影して見えたとき何十年も一緒に入れる気がしない。

だから人は自分にないものを埋めるのではなく、自然に自分とのパズルのピースが、カチッとハマる相手と幸せになれるのかと思う。

何が言いたいかとんちんかんになってしまったが
人生というのは苦悩と幸福のコントラストがあって
生きている心地がするものだということを。改めて感じた。

現実と理想のギャップがなければ、平凡でつまらない毎日の積み重ねになる。ここまで人々を虜にするネット動画サイトやuberも誕生しなかっただろう。

常に進化し続けたいという気持ちの奥底には、マイナスのモチベーションが存在し続けている。

だから、そのきっかけをうまくポジティブに捉えて人生を楽しく生きれる習慣をもう少しだけ身につけたいものだ。

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