見出し画像

スッピンと撮って出し

最近、カメラの記事やツイートで「撮って出し」という単語をみるようになってきた。
これは、カメラ内で作られたJPEG画像のことを言っているのであるが「ウソ・誇張が無い」という意味を含んでおり、レビュー記事においてその機種の実力を示すものと考えられている。

同じような意味で、SNSでアイドルなどが「スッピン」ということで写真をアップするのを目にする機会が増えてきた。
より身近な存在として認知してもらうため、日常の生活を共有することが目的となっている。(もちろん「スッピンでもカワイイ」という反応も期待していると思われる)

少し前までは「盛る」「デコる」「リア充」など、その人の最大値、または演出したものが情報の中心であったが、あっと言う間に「等身大」「自分らしさ」「演出なし」へと情報価値が移ってきた訳である。


あえて言う必要があるということ

SNSでブランディングしている人や、プロの写真家の人たちで、InstagramやLightroomで何らかの編集している人の割合はどのくらいなのだろうか。私の感覚ではほとんど全員ではないかと思っている。

むしろきちんとしたクオリティを保つために、必要な調整をおこなうことは当然であり、昔の写真ではプリント作業に当たるものとして「仕上げ」をおこなうのも当然なことなのである。

エンターテイメント、フェイクニュースからSNSで共有される情報まで、ほとんどの情報は演出や調整がされているということが前提となっているたえ、あえて「撮って出し」や「スッピン」ということに価値が出てきたというのが背景として考えておく必要がある。


さらなる価値へと転換される

もともと撮って出しは放送業界で、取材してきた映像を編集やナレーションなど入れずに「速報」として出す報道的な価値を持っている業界用語で、それがJPEGの静止画を表す言葉になったのは面白いが、この短時間に早くという価値は、たとえばデザインやビジネスの現場でも、より早くアイデアを外に出し反応を見ながらブラッシュアップしていく、リーン開発やプロトタイピング手法とも通じる価値観である。

時間と手間を掛けて「じっくり」という価値観は以前であれば、より慎重で安心できるものであったが、今や大丈夫かと心配されるようになっている。

またスッピンも同様で、人前に出るのに何ですかと言われていたり、カラコン無しでは人前に出れないと言っていたのを考えると、スッピンやそれに近い「リップ塗っただけ」というのは、フットワークが軽く一日に何度もアップするSNSの情報には親和性があると言える。


まとめ(仮)

なんとなく繋がった2つのキーワードに適当な解説を付けてみた。

たとえば「オリジナル」「限定」という言葉はもともと希少価値という意味で価値が高いものであるが、「スッピン」「撮って出し」はそもそも編集前の素材で本来は情報価値が低いものであるにも関わらず、逆に価値が出てきたものとして面白い。

「手間」と「簡単」、「多数」と「少数」、「複雑」と「単純」のどちらが良い意味の言葉に聞こえるだろうか? そんなことを考えながら、最近デザインしています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?