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カメラに「撮らされる」写真。AIの役割は自動化ではなくコーチング

写真を撮ることは「意識が高い」の行為なのでしょうか?

例えで考えてみましょう。出版する本を書くと言えば、それなりに高い意識がなければ、書く内容も、書く行為自体が成り立ちません。

一方で、日記を書くことを考えてみれば、絶好調のときも、そうでないときも「それなりに」書くことができます。むしろその時の心の状態で書くことの方が重要です。

日記さえ書かないのが一番意識が低い状態ですが、Twitterも日記と思えば、現在は昔ほど頑張らなくても書けるようになりました。

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では写真は、出版本なのか、日記なのかということになります。

もちろん両方の場合があるのですが、ここで重要なのは「意識が高くなくても良い」ということです。

実際にデジカメではなく、スマホで撮影している人の中には、無意識に近い状態で記録を撮っている人もいると思います。

意識高く一つの視点に集中して撮る写真にも緻密な良さがありますが、意識低く気が抜けたフワッとした視点で「見つけた系」の写真もまた良いところがあるので、

要は、あまり意識を高くし過ぎずに、ほどほどに視野を広く持った方が良いこともあるという話でした。


「苦労するほど楽しい」はホント?

私はずっと、そう思っていました。
だから、「スゴク苦労するとモット楽しい」という方程式でした。
完全な意識高い人です。

ところが最近は少し考え方が変わってきました。

実は、「苦労」と「楽しい」の間に、「豊かな体験」が挟まっていることに気付いたのです。

要するに、豊かな体験が楽しいことの本質で、昔は豊かな体験をするためには苦労しなければならない時代だったのです。



ところが、スマホなど手近な情報機器が登場し、苦労と豊かな体験が必ずしも結びつかなくなってきました

さらりと情報を集めて、適切な行動によって、豊かな体験ができるようになっているのです。

また、苦労するほど真剣に頑張ったりすると、視野が狭くなり、多様な体験のチャンスを無くしてしまったりするのです。

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情報を持っていれば、ディズニーランドでファストパスを上手に使って、効率的に移動することができ、結果的に沢山の乗り物に乗れ、パレードだってしっかり見ることができます。

行き当たりばったりで、苦労して走ったり列にならんだりして、その上で「偶然」に豊かな体験ができれば「ラッキー」という考え方も、ギャンブルとして楽しいかもしれませんが、

単に、苦しい状態と何かが出来たときの「差(アップ率)」によって楽しく感じているだけなのです。

AIが苦労と体験の「バランス」をコントロールーする

意識を高くし過ぎずにほどほどにすることで視野を広く持てる話や、苦労をし過ぎずに情報を得て行動する話などは、

人それぞれで、状況によっても違うため、固定されたベストバランスや、正解というものがありません。

ただ豊かな体験ができるように、コントロールできれば最高です。

このグラフで体験がピークにくるところに常にいるようにするためにはどうしたら良いのでしょうか?

私たちは、つい夢中になり過ぎてしまったり、苦労から逃げてしまったりしてしまい勝ちです。

そこでAIの登場です。 AIによって作られたUIがカメラと貴方を上手にコントロールしベストバランスを作り出します。

ユーザーに選択肢を与え、選ばせます。

ユーザーの世界を広げ、冒険とチャレンジをさせます。

ユーザーに行動をおこさせます。

ユーザーを経験を通して成長させます。

何をさせるか、どのようにさせるか、を考えます。

ユーザーに小さな成功体験を与える場合もあります。

ユーザーを失敗させることで考えさせる場合もあります。

単にレコメンドすることもあります。

「世の中の皆がやっている」と伝えるかもしれません。

「いかに簡単か」を伝えるかもしれません。

「世の中の誰もやっていない」と伝えるかもしれません。

「いかに難しいか」を伝えるかもしれません。

これらは全て、未来のデジカメとのインタラクションの中でAIが判断し使われる「UXテクノロジー」です。

現在のテクノロジーは機械を動かすために使われるますが、未来の製品ではヒトの心と身体を動かすために使われます

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このようなAIを搭載したカメラでは、ユーザーはカメラに撮らされるようになりますが、多くのユーザーはそれを自然なことだと感じるようになります。

結果として、それまでよりも豊かな体験を「実感」できるからです。その実感方法も含めてUIの役割になります。

写真は自分の「意思」で撮る。と言って断固AIを拒否する人もでてくるでしょう。
でもそれでは、自分でも気づかなかった物事への好き嫌いを発見する可能性を失ってしまいます。

カメラは決して強要したりはしません。ただあなたを導いていくだけです。

まるでアスリートが受けるコーチングみたいですよね。
ある程度まで練習で追い込み、集中し過ぎたら休ませたりして、最高の競技人生と競技結果を得られるようにアドバイスをしてくれます。

いかがですか? カメラに身を任せて、「撮らされて」みるのも楽しそうじゃありませんか!

この未来の仮説は一つの方向を示すもので、未来のカメラがこのようになることが素晴らしいという主張ではありません。
未来を想像する補助線の一つとして、感想などコメントをいただけると嬉しいです。

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