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ファインダーという「存在感」

ときどき店頭のカメラコーナーで一眼レフのファインダーを覗くことがあるのですが、

「うわ、情報が少ない」と思ってしまいます。

そのままレンズの向こう側がスカスカと見えてしまっていて、写ルンですのファインダーと変わらないように感じるのです。

この違和感はどこからくるのか考えてみます。

良いファインダーとは何か

本来は、一眼レフの方が、細かい光の変化をダイレクトに伝えているため「情報が多い」ということは理解できているのですが、

外部環境を知るという意味での情報であり、カメラ設定を含めた、総合的な「撮影」情報としては何か足りなさを感じるのだと思います。

撮影にはいくつかの重要なポイントがあります。

まず、シャッタータイミングです。細かい状況の変化を感じ取り、最高の瞬間にシャッターを切らなければなりません。

次は、フォーカスです。レンズの特性として、どこかにピントが合い。それ以外は少しづつピントがズレていきます。このピントの山をどこにもってくるかを判断し調整できなければなりません。

3つ目は、フレーミングです。はっきりと写すべきものがフレーム内に入っているか。逆に入れてはいけないものが入っていないか。を瞬時に判断できなければなりません。

フォーカスについてはカメラ任せで良い場合があるのと、フレーミングは後でトリミングする場合があるので、重要度が少し下がる場合もあります。
実際にほとんど気にしないで撮影している人もいます。

一眼レフのファインダーはこの3つの点において優れています。
むしろこの3点だけに特化していると言えます。

それらを追求していた結果が現在の一眼レフのファインダーなのです。

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他にもファインダーには重要な役割があります。撮影設定の反映です。

ファインダーが「撮影される状態を事前に把握し、調整するための情報提供」をおこなうために必要なものです。

これらを表示できるようにしたのが、ミラーレスで使われているEVF(エレクトリック・ビュー・ファインダー)です。

ミラーレスカメラで、アートフィルターのようなエフェクト機能が発展したことと無関係ではありません。
撮影結果を確認しながら撮影することで、個性の強いエフェクトも使いこなすことができるのです。


昔は不足した情報を想像力で補っていた

以前は写真を撮ることが難しいとされていた時代がありました。

撮影状況を判断して、複数の項目について適切な設定(調整)をおこなわなければならず、その調整が適切かどうかの判断は、過去の経験から判断する必要があったからです。

それに対して、カメラメーカーがおこなったのが、カメラが判断して設定を自動でおこなうということでした。
どのような結果になるのかは、明確には分からないが、いつもと同じような平均的な写真に仕上げてくれます。

ユーザーからコントロールする自由を奪い、平均的なものに押し込めることにしてしまったのです。

写真の記録性という面ではプラスでしたが、表現性という面ではマイナスの面もありました。

実際には、多くのユーザーはそれほど厳密に個性的な表現を追求しようとはしていなかったため、カメラ業界としてはプラスの面が大きかったように思います。

また厳密にコントロールしたい人は、沢山の経験によって「想像力」でどのような設定にすると、どのような写真になるのかが分かるようになるか知っていたので大きな問題にもなりませんでした。

絞りをF5.6にするとこの位の被写界深度になるとか、1/15秒なら水の流れがこんな風に写るとか、+0.7にすれば空の色がどうなるかなどが、分かる人がいるということです。
またそれが分かることが、カメラマンとしてのステイタスのようになっています。



デジカメの登場が全てを変えた

そのような不自由な状況を打ち破ったのが、今私たちが使っているデジカメです。
さまざまなタイミングで、撮影予定の画像が確認できたり、撮影後の画像が確認できることによって、経験が少なくても、表現をコントロールすることができるようになりました。

そしてデジカメの適切な進化の方向としてミラーレスとEVFの組み合わせがあるのです。

存在感としてのファインダー

このように進化してきたファインダーですが、最新のものが最良ではないかもしれません。

私が、ファインダーに求めるものは、裸眼でみたような撮影空間への「透過感」だけではなく、客観的に映像をみられる物理的に存在するように感じる面の「存在感」です。

具体的に何というものではなく、ファインダーを通して「ゾクッ」とする体験そのものです。

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実はこの感覚は昔も感じたことがありました。

古い昔の一眼レフも持っており、「全面マット」と呼ばれる、ざらざらしたスクリーンを使ったものです。
このファインダーはレンズと接眼との間に一枚挟まっている感じなのですが、そこにフィルムの存在を感じることができ写真を客観的に感じながら撮影することができます。

特にレンズのピントリングを回したときに、すっとフォーカスが合う瞬間は、この「面の意識」無しには有り得ません。

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技術の進化によって、より「自然で」明るい、見えやすいファインダーができるのですようになっていますが、存在感が薄くなる方向に進み過ぎないように、「写真」を感じられる何かをデザインしなければならないと思っています。

それが具体的にどのようなものなのか分かりませんが、動的な変化の中で感じるものなのだろうと考えています。

最近の一眼レフなどでは、全面フォーカスに設定しておくと、ファインダー面を合焦表示が動き回り、そこに面が在ることを感じさせてくれます。

決して、映像が面に張り付いた感じではないのですが、ファインダーUIをデザインする上で大きなヒントを与えているのではないでしょうか。

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