何もかも失った私が『占い師』になるまで。
こんにちは。占い師の暦かれんです。
普段の私はTwitterで活動を行なっていますが
、このたびnoteアカウントを開設しました。
もともと手帳についてのことが中心のアカウント
でしたが、
占い師として活動をスタートさせることになったきっかけなども含めて自己紹介させていただこうと思います。
私の手帳歴は、中学生からなので約17年ほど。
もともと文房具は好きで、小学生のころから『ノート』というものに惹かれていました。
でも、本格的に自分のスケジュールをかいてみたり日記を書いてみたりなどして使っていたのは中学生から。
美大志望のおしゃれな子がいたのですが、その子が常にノートにスケジュールやイラスト、日記などを書いているのがかっこよくて
それをみたのがきっかけで手帳を本格的につかうようになりました。
当時、いじめられっ子で友達もすくなく、教室の端で絵を描いているのが好きでした。
いつも自信がなく、発言することもなく、自己肯定感の低さはすごかったです。笑
そのまま推薦で高校に上がりましたが、いまいちパッとしない女子高生時代を過ごします。。
そして、やっと楽しくなってきたのが専門学校時代でした。
私は漫画家を目指していたので、(ファッションデザイナーも夢でしたが、ミシンが下手すぎて挫折)毎日まじめに学校に通ってはいたのですが、高校3年生で進路を変えたので、ずっと絵を描いてきた子にはとても叶わず。自分の才能がないことに気付き、漫画を描くことを辞めてしまいました。
なんでも中途半端で、そんな自分をどうにかしようというわけもなく。ただ流されるように生きていました。
専門学校を卒業する段階となり、周りは出版社で担当がついたり、WEB漫画の連載が決まったり。
自分には才能がないとそこではっきりわかっていたので、悔しいということはありませんでしたがこのときからどこかで『自分はなんてつまらない人間なんだろう』と思っていました。
どちらかというと受け身で生きてきたので、今更どうにかなるわけもなく。将来の夢などもなく、実家暮らし・フリーターとして働いていました。
私の人生の転機となったのが、『結婚』を考える年齢になった頃でした。
婚約者は、国立大卒の有名企業に勤めるエンジニアで、趣味も合う、私にはもったいない人でした。順調に婚約まで進み、結婚式の準備も進めていました。
ですが、その頃から途端に束縛が激しくなり、異常なまでに私の行動や思想まで制限するようになったのです。
『君は馬鹿だから事務は無理』
『専門学校卒業ではなく、大卒と親に伝えてある』
『友達と遊びに行く?男?浮気してるの?』
など。(今思うと、信じられないようなことを言われていたなと思います。)
当時は『彼は私を愛しているから、心配してくれているのだ』と信じていました。
ですが、ついに行動の制限に限界がきて、『なんでそんな風に思うのだろう』といろいろと調べていたところ
『モラハラ』という言葉に辿り着きました。
モラハラと判断する要素となる項目にほぼ当てはまり、私は『このままでは、私の人生が壊されてしまう』と怖くなりました。
話し合いの結果、お別れすることになりましたがそのあとがさらに地獄でした。
結婚のために仕事は辞め、時短勤務のパートをしていたのですがそれも実家に帰るために辞めることになりました。
結婚を数ヶ月後にひかえていたので、地元では『結婚したのよね、おめでとう』と会う人会う人に言われ、母が困ったように説明する様子をみて私はとても自分が情けなくなりました。
何もしたくなくて、毎日涙が溢れてきて。
でも私は何も持ってないし、何もできない。
そのうちに『死』ということも頭を何度もよぎりましたが『死んでしまったら、もっと家族は悲しむかもしれない。』と死ぬ勇気もなく。
せめて、自分の周りは整えておこうと物に溢れてごちゃごちゃになった部屋を少しづつ片付けをしていました。
私の部屋には彼に制限された(無駄だからそんなものやめろ、もっと役に立つ資格の勉強をしろと言われた)たくさんの本が出てきました。
学生の頃に好きだった絵を描くための本、いつか海外に行きたくて買っていた英語とフランス語の本、小学生の頃から好きだったタロット占いの本。
これらをみたときに、私は何か抜け落ちたパズルをみつけたような気持ちになりました。
1番、心が惹かれたのはタロットの本でした。
自分自身の悩みを解決できたらいいな、いいきっかけになるかなと改めて学び直そうと決意。
職探しをしているときに合間を縫って、メールで200人〜300人鑑定をしました。
占った結果をお伝えする相談者さんの『気持ちが楽になりました』などの感想をいただくことで私の存在意義があるのだと感じることができました。
『そうだ、今の私には何もない。だからこそ、自由だし、可能性がある。まだ、25歳。これから得ていけばいいんだ』
占い師という道を選ぶには、当時は環境も十分ではありませんでしたし、どうにか自立することが最優先でした。
どうにか就職も決まり、地元でカフェ店長として正社員で中途入社。
成績が認められて売上一位の店舗への移動。
店舗マネジメントを学び、社内の販売コンテストでも1位を獲得することができました。
現在は、2度の転職を経て、今に至ります。
今の私は、写真家として活動しています。
そして、小学生の頃からの夢だった占い師としても本格的に活動を始め、
今年には同じように写真の活動に励む彼と入籍をします。
私はこれから、『自分の人生を自由に描いていけることの素晴らしさ』や、そのために手帳というツールは未来の設計図となってくれるということを伝えていきたいという気持ちです。
ずっと私の人生を支え続けてここまで成長させてくれた手帳の使い方や、占いで自分自身を見つめ直して素敵な未来をつくっていくお手伝いができる占い師になりたいと思っています。
これからも頑張っていきますので、応援していただけるとうれしいです。
読んでいただきありがとうございました。
暦かれん
占い師なので、サポートのお礼は『カード一枚』であなたのために言葉を差し上げたいと思います。嬉しかったことも、悲しかったことも、メッセージください。