さらけ出し時代
自分をさらけ出せる人
そんな人が魅力的と評価され、活躍できる時代になってきているのではないかと考えた。
自分のプライベートをどれだけさらけ出したか。
自分の考えや、感情をどれだけさらけ出せたか。
その表現方法は映像かもしれないし、写真かもしれない。
文章かもしれないし、音声かもしれない。
音楽かもしれないし、絵かもしれない。
様々な表現方法がまだまだあると思う。
そういった表現方法を通して、自分をどれだけさらけ出せるか。
それは自分の部屋を見せるとか、自分の食事をしているところを見せるとかではなく(それももちろん良いと思うが)。
それよりも、自分の内面をどれだけさらけ出せるか。
自分の心の内をどれだけさらけ出せるか、というところが重要になってきている気がする。
では、どんなことでもさらけ出せば良いのか?
もちろん違うと思う。
自分をさらけ出すと考えて自分のだらしない部分も積極的に見せに行く。
例えば、着替えるのが面倒だからと、部屋着で人に会う。
面倒だからと部屋を片付けられていないところをさらす。
そういうのも、一つのさらけ出しだとは思うけども、それは肝心なところではないと思う。
肝心なところは、自分をさらけ出しても、皆から共感を得られたり、魅力的だと思われること。
ただ、共感や魅力的だと評価されることを狙ってしまうと、自分をさらけ出すことではなくなってしまう。繕った自分を出すことになってしまう。
となると、狙ってやるのではなく、ありのままの自分をさらけ出すことで、共感されたり評価されたりする人がこれから活躍する人。
自分をさらけ出して評価されるには、今この瞬間の自分をさらけ出しても、問題ない、人を不快にさせない、というような生活を普段から行っていないといけないと思う。
要は普段の生活、誰も見ていないところでも、自分を律し生活している人。
お金になるかならないか関係なく、普段から周りに配慮、気配りをしている人。
そういった普段からの積み重ねが重要な、時代になってきているのではないかと考えた。
というか、なってほしいと考えた。
普段から私生活でも仕事でも、良い行いをしているのに、お金にならないからと評価されない人が世の中にはたくさんいると思う。
そんな人達が活躍できる社会になってほしいという願望を含めて、
『さらけ出し時代』
の到来だな、と勝手に考えたという話でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?