「ゆるいつながり」を考える

社会で生活している中では「人とのつながり」はごく自然に起こることだ。

私自身も、大学という集団と、 Ukulele Liberty というメディアを運営・編集する集団に所属している。そこで出会う人とは、同じ集団への帰属意識をもってつながっている。

今回はこのような「人とのつながり」について思うことを書いてみようと思う。書き終えてから読み返してみると、だらだらと長くなってしまっていたため、ここから先はそれなりの時間と覚悟を持って、読み進めていただきたい。

集団への所属が生む「つながり」

日本で生活していると、誰もが義務教育というシステムによって強制的に学校に所属することになる。その学校を卒業したあとにも、多くの人が会社に所属する。学校や会社などの「親集団」の中には、クラスや部活動、部署やプロジェクトチームなどの「子集団」とも言えるものが存在する。

これらの「特定の目的を持った集団への所属」をもとにしたつながりを、目的の達成に向けて他のメンバーと協力するという意味合いをもって「堅いつながり」とする。

お互いへの興味が生む「つながり」

これとは相対する存在として、私は最近「ゆるいつながり」というものに興味がある。これを、特に目的などなく、単に「お互いを認識し、お互いに対して興味を持っている状態」と定義する。

この「ゆるいつながり」は、「堅いつながり」同様ごく自然に生まれるものだ。特にSNSが普及した現代においては誰もが持っているであろう繋がりである。いわゆる「相互フォロー」という状態がまさにそれである。

プロフィールやアイコンを通じてその人がどういう人なのかある程度認識した上で、その人が発信する情報に興味を持っている。それをお互いが実行しているのであれば、それは上述の定義にぴったりと当てはまる。

他にも、同じ店での常連客同士のつながりなどが挙げられる。特に何の目的もなく、「最近仕事どう?」「こないだ京都に出張に行ってさ」などと会話を交わす。これもまたお互いの日常に対して興味を持っている状態だ。

私がこのようなつながりに興味を持っているのは、これから社会に出るにあたって、この「ゆるいつながり」が大切になるのではないかと考えているからだ。

「ゆるいつながり」が生むもの

そこで、ここからは「ゆるいつながり」が生むもの、「ゆるいつながり」を持つことのメリットについて書いていく。

まず第一に書いておきたいのは、「ゆるいつながり」から「堅いつながり」への発展はあっても、その逆はそう簡単には起こり得ないということだ。

たとえば、Twitterで知り合った同業者とリプライのやり取りを繰り返すうちにお互いに共感する部分が多くあり、実際に会ってみて意気投合し、一緒に仕事をすることになった、というようなことは現代においてはよくあることだろう。これはまさに、Twitter上での知り合いという「ゆるいつながり」から、仕事仲間という「堅いつながり」への発展の典型例である。

しかし、「堅いつながり」から「ゆるいつながり」への発展はどうだろうか。たとえば、職場で仲の良い同僚と楽しく飲む。これは一見「堅いつながり」から「ゆるいつながり」への発展のように見えるが、実のところそうではない。そもそもその人と「つながり」を持ったきっかけはあくまで職場への帰属意識であり、飲みに行ったからと言ってその意識は失われない。お互いへの興味が根底にあるつながりではないのだ。一度堅くつながってしまうと、そのつながりをほどくことは難しい。実際、その飲みの席で話されることは、上司との付き合い方や部下の評価の共有、営業先でのエピソードなど、仕事に関するものがほとんどであろう。

「ゆるいつながり」はお互いへの興味があって初めて成立するものであり、それ以上でも以下でもないものだ。すでに堅くつながってしまった人とこの状態に戻ることは、物理的にも精神的にも、むずかしいところだろう。

「ゆるいつながり」から「堅いつながり」に発展することのメリットとしては、お互いをある程度理解した上でつながりを持てることが挙げられる。特に目的を共有することもなく、利害関係とは程遠いところから相手を眺めることのできる関係で、お互いの人格や思考をある程度把握することができるのが「ゆるいつながり」の良いところだ。その中で、お互いの目的意識が同じベクトル上にあるならば、堅くつながればよい。そのきっかけを作るのも、事前にゆるくつながっていれば簡単なことだ。連絡を入れてちょっと会って話をしませんか、と声をかければ済む話である。たとえ堅くつながろうと思わなかったとしても、ゆるくつながっている状態が心地よいのであればそのままの関係でいることもできる。そこに選択の余地があるのだ。

それに比べて、初めから「堅いつながり」を持ってしまうことにはリスクがある。同じ目的を持っているのに、性格や興味範囲の違いによって上手くやっていけない、いわゆる「馬が合わない」という状態が起こり得るのだ。場合によっては、そもそも目的が違っている、なんてことも無い話ではない。

以上のことから、「ゆるいつながり」は「都合の良い堅いつながり」を生むと言えるだろう。お互いにとって利益に結びつきやすい、お互いが満足できる関係に発展しやすいのだ。

ネット社会における「ゆるいつながり」

先程からSNSの相互フォロー関係を多く例に挙げているが、やはりこの「ゆるいつながり」を生みやすいのはネット上であると思うのだ。

直接会ったこともない、しかし同じことに興味を持っている、というような人を見つけやすい。そしてその人の性格や趣味趣向、考え方などをある程度観察したあとで、その人と本気でつながりを持ちたいのか、はたまたそうでもないのか、自分を基準にジャッジすることができる。

「ゆるいつながり」を生む場としてのネットを考えた時、やはり大切になるのが「発信する」という行為だ。趣味の話であろうと仕事の話であろうと、自分なりの見方や考え方を発信することで、自分はこういう人ですよ、ということを不特定多数に対して知らしめることができる。オーディエンスは発信された情報を基準に、その人とつながりを持つかどうかを判断する。これによって人は、豊かで心地よい人間関係を構築することができるのではないかと考えている。

さいごに

「ゆるいつながり」を持つ手段は何もネットやSNSに限られたことではない。実際に対面で会ってみて初めて分かることもある。もっと言えば、対面で会わなければ分からないことの方が多いだろう。しかし「ゆるいつながり」をスタート地点にするという前提をお互いが持っていれば、問題はない。まずはゆるくつながることだ。そのつながりを堅くするのかどうかは、それから考えればよい。

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吉田 コウ

コラム

色んなことを考えた証拠。自己満足の記録です。
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