気候変動問題を考えるのに必要なことは

長年、気候変動や環境問題に携わってる研究者の方々と話す機会があった。

どうしたら、多くの人に、環境問題に関心を持ってもらえるんですか?と聞いたところ、どうすれば良いんだろうね、と返ってきた。僕の何倍と、そういった事例やアクションを見聞きしてる人たちでさえ、手応えのある普及啓発の方法を見出せてない、パッと思いつかない。現状を鑑みると、そりゃ、そうだわな。その応えがはっきりしていれば、もっと関心の高い社会になってるはず。愚問だったなと反省。

僕たちは、お利口ではない。このまま環境問題に無関心を通せば、我々人類が被害を受けることは分かってるはずなのに、いますぐの問題じゃないし、どうせ誰かが上手いことやってくれるだろう、と他人事。しょうじき、僕もそうだ。にも関わらず、ついついやりたくなってしまうようなアイデアだったり、アクションが必要なんだろう。

小さな動きとしては、楽しそうなアクションがあれこれと動いてる気がする。だけど、まだ一部の感度の高い人たちのものな感は否めない。ただ、そんなもんなような気もする。なんか知らんけど、再エネの高いものを使ってる、環境負荷の低いものを作ってるってぐらいに馴染まないと駄目な気もする。

ただ、なんか市民のことをリスペクトしていない気がして嫌だなとも感じる。どうせ分かんないだろうから、勝手にやっとくわ。だから、文句いわんと使ってね、みたいな。美しくない。

そうなると、やっぱり、両輪でやっていくしかないんだろうな。環境負荷の低い暮らしを自然に作っていくマクロの動きと、市民の主体性や思考を活性化するミクロの動きと。ごくごく当たり前のことしか思えないけど、その両方にコミットできるポジションにいるのは、案外少ないのかも。しかも、お寺を拠点に。

やる意義は高いんだろうけど、まだスイッチは入んないな。どこで入るのか、まだ見ぬ自分に期待しとこ。


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