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子どもの姿をみて、自分の子どもの頃を思い出した日。

子どもの癇癪がすごい!一度ご機嫌を損なうと、頭を地面にぶつけたり、噛んだり、爪でかじったり、暴れ叫び、のたうちまわる。昨日は夜中に目覚めて、3時間ほど、妻が必死に戦っていた。僕が参戦しても、余計に機嫌を損なうことが多いので、正直どうして良いか分からない。

その子どもの姿を見ながら、自分の子どもの頃を思い出していた。

僕も癇癪を起こすと、なんかむしゃくしゃして、維持になって、暴れまくっていた。そのときの感情を覚えているのにも理由がある。小さい頃から癇癪がひどかったそうだが、結構大きくなっても癇癪を起こしていた。記憶にあるのは、小学2年生ぐらい。

引っ込み思案だった僕の性格にポジティブな影響を与えてくれたのは、間違いなくサッカー、特に三浦知良こと、キングカズだった。ヴェルディ川崎が好きだった。登園拒否を続けていた僕が、Jリーグ開幕をさかいに、昼休みにはサッカーをするために保育園に通いだした。

小学生になり、近所の兄ちゃんたちもサッカーをしていたので、僕も当たり前のように地域のサッカークラブに入った。が、監督やコーチがめっちゃ怖かった。殴る、蹴る、当たり前。キャプテンたちが殴られている様子をみて、直ぐに練習に行かなくなった。サッカーは好きだったけど、ほんとに怖かった。

週に3回ある練習の日が本当に嫌で、小学生低学年にも関わらず、胃がいたかった。すげー、ストレス。練習のある日になると階段からわざと落ちて怪我をして練習に行かなかったり、母親が車で送ってくれていたがグランドに着いても泣いて車からおりなかったりした。それこそ、わざと地面で頭を打っていた。泣き叫び暴れる僕の姿を見て、母親も泣いていたことを覚えている。だけど、母親は、一度始めたことだからと、辞めさせてくれなかった。

そのときのことを振り返ってみると、サッカーは本当に好きだった。監督が怖くて練習には行きたくなかった。だけど、サッカーは上手くなりたいし、試合にでるのもめっちゃ楽しかった。だから、練習に行きたいと行きたくないでめっちゃ揺れていた、小学2年生の僕。

そのなかで練習に行かなかった大きな理由は、母親の態度が気に食わなかったような気がする。泣き叫ぶ僕の姿をみて、「そんなに泣いたら私が恥ずかしいやないの」と怒る母親の態度にめっちゃ違和感を覚えた。「えっ、僕のことを心配してくれているんじゃないのか。結局自分を守るために、一度始めたことは続けるのが大切と言いながら、自分が良い親を演じたいだけやん」と。母親だって、本当に僕を応援していた気持ちや、周囲の目を気にする(そりゃ、そうだ、そんなに泣き叫んでいたら)気持ちがあったのも、色んな感情があったのは、今ではよく分かる。

結局、あのとき、僕は母親の愛情を試していたのかもしれない。僕のなかでも色んな感情が渦巻いていたんだろうけど、根っこにはそれがあったように感じる。4つ下の弟ができて、弟を可愛がるみんなの様子をみて、自分に気を引きたかったのだろう。特に、母親を。ごめん、母さん。その後、サッカーを続け、中学生の頃は九州大会でベスト8に入り、特待生で高校に進学し、県大会で準優勝もした。あのときサッカーをやめていたら、少なくとも今の僕ではなかった。

妻が癇癪をおこす子どもに「なにが嫌なの?!教えて!」と言っているけど、子どもも分かんないだと思う。なんか嫌だし、それよりも、ただ愛情をしっかり注いで欲しいんだ。妻もその子どもの想いにしっかり応えるように向き合っている。真面目に向き合いすぎて、しんどそうだけど。だけど、その向き合っている姿勢が、子どもの自己肯定感みたいなものを育むんだろうなと感じる。僕がそうだったように。

今日の午後は、妻が買い物のため、子どもと二人で過ごした。最近の癇癪の様子を見て、少し不安だったけど、僕と二人だとめっちゃ良い子。癇癪なんておこすヒマさえなく、公園で遊び回った。やっぱり妻だからこそ、何をしても最後は許しくれるという絶対的な信頼感があるんだろうな、と感じた。

子どもの様子をみて、顔だけじゃなく、性格も僕にそっくりだなーとつくづく感じる。その様子をみて、なんか妻と母親へ申し訳なく感じるとともに、感謝の念を抱く、今日このごろ。

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