お寺は何のためにあるのか。

お寺に足を運んでもらうために様々な取り組みがおこなわれている。ライブやったり、落語やったり、マルシェやったり云々。だけど、それでどれだけお寺参りにつながっているのか。伝道方法の検証がなされていない。お金かけて人が集まるイベントをするけれど、それが本当に成果になっているのか。

確かに、お寺に足を踏みいれることが大切だと言われる。だけど、それだけでは、お寺の経営は持続しない。

ただ、単にお寺に足を踏み入れるだけでなくて、そこにコンセプトや目的がほかにあるのであれば良いんだろうけど、多くはそこが薄い。なんとなくお寺に人が集まればオーケーになってる。

そんなことを話すなかで、印象的だった一言。

なぜお寺で法話をするのか。別に檀家にするためじゃない。その人の苦悩が少しでも和らげば良い。与楽抜苦が目的。そのための手段として、法話をすれば良い。法話だけじゃない。お寺で行うものは、全てそこに行きつけば良い。

そうだな、と思った。そのために、お寺はリソースや方法に溢れた場所でありたい。

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