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良いじゃん、迷惑かけたって。

大学時代の友人たちと、「Deathについて喋るんデス」をキャッチコピーに、Deathカフェを2015年から不定期ながら、継続的に開催している。

この1年間ぐらいで参加者の方からよく発せられるテーマが「安楽死」について。この前も「お坊さんとして、安楽死についてどう考えますか?」って聞かれた。色々と思うところはあるけれど、そもそも日本では法律的にNOだし、僕のなかでも何か明確な答えがあるわけじゃない、そんなに勉強しているわけでもない。ただ、なんでその人が安楽死に興味があるのかはめっちゃ気になったので聞いてみた。要約すると、「認知症になってまで、生きていたいとは思わない。子どもや孫に迷惑をかけるぐらいなら、自分で死ぬことを選択するのもありかなと思ってる」的な主張だった。気持ちは分かる。だけどなって思う気持ちもある。なにが引っかかっているのかは、まだ上手く言葉にできない。

一つ何となく思っているのは「良いじゃん、迷惑かけたって」って。子どもがいる人なら、これまでその子どもにめっちゃ迷惑かけられてきただろう。だから、良いじゃん、迷惑かけたって。迷惑マイレージを貯めておいて、自分がしんどくなったときは助けてもらうんだって。それぐらい迷惑かけた方が、味わい深い死になると思う。綺麗に死んでいくのは一見美しそうだけど、なんか思い出深くない。そう、すべてが用意されたパッケージ型のツアーのよう。観光するのはすべてが用意されて便利なのかも知れんけど、あとあと、そんなに思い出に残らない。自分で色々と手配して、トラブルもあったりした方が、思い出深い旅行になっている。

ただ、現代社会は、そういう心情的なものだけで許されないんだろう。介護をしてもらうことによって仕事をやめないといけなかったり、施設に入る費用がかかったりと、家族をとりまく周辺の問題になってしまう。それを鑑みて「子どもに迷惑をかけられない」ということなんだろう。

あるいは、現状の認知症の方を取り巻く様子をみて、「あんな風にはなりたくない」と思ってしまっているのかもしれない。認知症になっても、当事者も家族も豊かに生活できるシステムをつくっていかなくてはならない。

そうなると、もう個人の問題だけでなく、社会の問題として考える必要がありそうだ。

ひとえに安楽死や関心があるといっても様々な背景があるんだろうけれど、多かれ少なかれ、同じように思う方はいるんじゃないかと感じる。安楽死や尊厳死について考えることは、単にそれの良し悪しを議論するのではなく、自分の生き方や死に方をみつめる機会になるんじゃないかなと期待して、Deathカフェを開催する。

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