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成人式の思い出

新成人の皆さんおめでとうございます。楽しいこともつらいこともあると思いますが、これからたくさん自由に好きなことをしてほしいです。

オダの成人式の写真を植田がSNSに投稿するのが毎年の恒例になっているのですが、その度に自分の成人式を思い出すから、ここで思い出を共有させてください。

当時の自分は「成人式に出ないかもな」と思っていた。大阪から愛媛に帰らないといけないこと、少ないライブだったが休みたくないこと、バイトも稼ぎ時ということがあり迷っていた。でも母がすごく楽しみにしている雰囲気を醸し出していて、出ることにした。17歳で上阪してから「何年間かは地元に帰らない」と決めていたり、友達に会うのも避けていたから、約3年振りに地元に帰り友達に会うことになる。

成人式の何ヶ月か前に友達から
「男、袴着るらしいけど女どうする?」
という内容がグループLINEで送られてきて、男は袴着るんやと思った。
「日章旗持っていく?」
と聞いてくれたが、男が日章旗を持っているということで私たちが用意するものはなかった。

当日。「色んな友達に会えるかな」とワクワクして前日は眠れず、むくんでいる顔で行った。会場に着くと部活やギャルの友達がたくさんいて、髪を盛ってキラキラな振袖を着ていたり、紫袴の男たちが日章旗を持っていた。
式が始まり、会場で市長さんのお話を聞いていると「よくニュースで見る成人式はこんな感じなのかぁ」と社会の一部になれた気がして嬉しかった。今でも電車に乗ったり、朝仕事に向かっている時に「社会の風景になれている自分」が嬉しい。引きこもっていた時に比べたらだいぶ活動しているなと感じる。

式が終わり、外では男袴たちが祭りの時みたいに太鼓を叩いたり、日本酒をラッパ飲みしていたのでギャルと混じって私も飲んだ。ホストになっていた元彼にも会えた(X JAPANのYOSHIKIみたいなサングラスをかけてでかい腕時計つけてた)
男袴たちが乗ってきた車が会場の前にたくさん停車していて、なんらかの改造をしているのか車体が上下にバウンドしていた。「バウンドしよるー!」と思って見ていたら男袴集団の中に見覚えのある人が立っていて、私の母だった。
「これはなんで上下にバウンドするん?」
と仕組みを聞いていて、男袴も
「これは…ここをこうして…」
と真剣に教えていて、私は急いで母を連れ戻した。

式が終わるとソフトボール部のみんなで顧問の先生に会いに行った。先生は、みんなの振袖姿を見て喜んでくれた。
中学時代、私はたまに精神的に疲れて奇行に走っていた。中学1年の時は突然思い立ち眉毛を全剃りしていた。中学2年では学校も家も休みたい、と家出をした。金髪に染めて一週間ほど友達の家で過ごしている時期があった。母と顧問に居場所が見つかり、母は泣いていて、顧問からはグーともパーとも言えないナックルの手で頭をしばかれた。「お母さんがどれだけ心配したと思っているんだ」と言われた。
一週間ぶりに学校に戻ると色んな噂が立っていて「妊娠した」とか「薬やってる」とかでたらめな話が流れていた。他のクラスから見に来てヒソヒソ話す人もいた。教室で誰も話しかけてこないから机に座ってボーッとしていると、ソフトボール部の子たちがわぁっと入ってきて何事もなかったように話しかけてくれた。「心配したんよー」とか「髪どうしたんよ」とか。変わらず普通に接してくれることが嬉しくて泣いた。それから私はソフトボール部のみんなが好きで、そういうみんなと部活をさせてくれた顧問の先生にも感謝している。
そのみんなと顧問の先生と、20歳になり全員元気で会えていることが嬉しかった。成人式に出て良かったと思った。

振袖姿のオダとお母さん

私は振袖に興味がなく、髪型も何から何まで母や姉に決めてもらった。この振袖は姉のおさがりだ。母子家庭の中、母が一生懸命貯めたお金で買ってくれた振袖。母いわく、姉は自分にも私にも合う色を、何年後かに私が着ても古く見えないように、などたくさん悩んで選んでくれたらしい。私は色んな想いが詰まった振袖を着ていたことが嬉しかった。

そして成人式が終わり、振袖を脱ぎ、当時の私が思うおしゃれな服に着替えて同窓会に行った。居酒屋に大勢の同級生が集まっていたのだが、この時の私が最悪だった。8年後の最近あった友達の結婚式でも、成人式のことをいじられることになる。
「同窓会ではお酒を飲み過ぎてチューをしたりせず、終わったあとはラブホに寄らずまっすぐ家に帰ったほうがいい」と新成人の皆さんに伝えたい。もう一度戻れたら同窓会ではウーロン茶だけ飲む。

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