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フィギュアスケート審判員から学ぶ~人事評価の落とし穴

人事評価には、とかくその客観性や正確性が求められます。もし評価する上司の気分で恣意的な評価をされてしまっては、部下もたまったものではありません。では、評価基準を細かく厳格化すれば、評価の公平性は担保されるのでしょうか。

しかし、事実はそう単純なものではなさそうです。


不正疑惑からより厳格な採点方法へ

2002年に開催されたソルトレークシティ冬季オリンピックで、フィギュアスケートに審判員の不正疑惑が持ち上がりました。フランス人審判が、ロシア組を勝たせるように意図的に採点を操作したのではないか、と疑われたのです。
これを受けて、2006年のトリノオリンピックからは、従来より厳しく細かな採点方法が導入されることになりました。

それまで評価の方法は、「技術点」と「表現点」の2項目を6点満点で採点するという方法でした。それをトリノオリンピックからは、「技術点」について基礎点を算定したのちに、各演技を8要素または13要素に分けて7段階で評価し、さらに「表現点(構成点)」については、5項目を各10点満点で評価するという方法に変更したのです。

つまり、これまでの人物評価にちかい総合評価から、要素の積み上げによる分析的な客観評価に変更したのです。
それらは言い方を変えれば、相対評価から絶対評価への変更ともいえるものでした。

では、これらの変更により、採点方法はより公平で公正なものになったのでしょうか。

採点方法を変えても結果は変わらなかった

神戸大学教授の高橋潔氏は、統計的手法により、評価の「信頼性」「妥当性」を検証しました。すると変更前も変更後も、どちらの採点方法であっても結果に大きな影響がみられなかったのです。

変更前のソルトレークシティ時の評価方法であっても、評価の信頼性はきわめて高い水準にありました。しかし一方で、「技術点」と「表現点」という異なる評価方法がとられているにもかかわらず、選手自身の評判や演技全体の印象に、それぞれの項目が影響され、総合的評価結果になる傾向がみられたのです。
つまり、審査員が個別項目をきちんと分別して採点をしていなかったようなのです。

では、より細かく採点することとなったトリノオリンピックのケースでは、どうだったのでしょう。

トリノオリンピックでも、評価の信頼性はソルトレークシティ同様に高い水準でした。ところが、より細かく評価要素を設けたにもかかわらず、依然として選手自身の全体的な印象によって評価が左右されている傾向にあったのです。
要するに、変更前のソルトレークシティオリンピックと変わらなかったのです!

シンプルが1番

より細かく、分析的な評価方法を導入すれば、評価も客観的で公平なものになると考えがちですが、必ずしもそうとはいえなさそうです。もちろん、評価に不慣れな新人上司であれば、評価手順が細かく定まっていたほうが、より正確な評価の手助けにはなるかもしれませんが、複雑な手順はかえって混乱を招き手間が増えるだけです。

もう一つここで注目してもらいたいことは、どちらのケースであっても、当然に点数が公表されるという点です。このことが、むしろ双方の評価結果の信頼性を高めることに寄与したのではないかと考えられるのです(結果をオープンにすると、評価バイアス(偏り)を抑えられることは研究からもわかっています)。

複雑で細かな評価制度を導入するよりは、わかりやすくポイントを絞った評価基準のほうが、運用面からも有利といえるでしょう。いたずらに評価制度を複雑にしても、かえって混乱を招くだけです。そして公平性を保つためにも、評価結果をオープンにすることが大事だといえそうです。


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