まだ知る由もなかったのです

2024.1.14~3.17まで
日記ワークショップで毎日書いた日記の抜粋をあげています。


表現するもしないも出来ないも

2月7日(水)

昨晩、学校に行きたくないなぁと遅くまで眠い自分をだましだまし起きていた次男が、卵かけご飯をおかわりして普通に登校した。
学童だけなら嫌じゃないといっていたので、行きたくない理由は友達関係でなさそう。
ちょっと私の気が楽だ。友達は1番むずくて親には解決できない。

参観日で午前休。
次男の図工と、長男の特別授業「ピアノの連弾」。
2年生の図工は先生の話をちゃんと聞いている児童が目測3人しかいないカオス。ねんどで手をべちゃべちゃにした子どもが「次男くんのママ、いぇーい」と寄ってくるのは恐怖だ。
子にはママと呼ばれていないので、子どもも大人も他人だけが私をママという。

次男は仲良しの友達とカービィーを作っていた。生き生きと楽しそうじゃないか。女の子がよってきて「次男くんの誕生日っていつ?」と小声で聞いてきて、憎からず思ってくれているんだな。ありがたい。

図工の後、規定数以上の子どもが病欠(インフルエンザ)になったためこのクラスは明日から学級閉鎖になりますというアナウンスがあり、後ろの親サイドが「えーーーっ!」と大きい声を出した。

長男は毎年1回の支援級の特別授業。大学の音楽の先生がやってきて、自由に子どもにピアノを弾かせ、それに合わせて即興で連弾をしてくれる贅沢授業。
その先生の表現についてのお話が、日記にも通じるものがあるなと思いながらメモ。
・社会性が表現の邪魔をする
・自分でいいと思わないと表現はできない
・表現は自己肯定
・弾かない、というのも表現
社会性な…それな…としかいえない。たしかに限りなく社会性ゼロに近い低学年の自由すぎるピアノの殴り弾きと、高学年(特に女子)の「恥ずかしい、うまくできないかもしれない、自分で考えて弾くとか無理」とおそるおそる弾くのを比べると、見ている方としては断然に前者の方が面白い。
でも社会性はとても大事だし子らにもぜひ身に着けてもらいたい。
成長は喜びに何か苦みのあるオマケをつけてきがち。

長男は1年生の時弾かず、2年生で1音ほど弾き、3年生で少し弾き、今年は「もう一回やりたい人」に手を挙げていた。これは苦オマケのない成長。

仕事に行くと、私たちは事前に聞いていない費用が、しかも今月発生します、というとても簡単なメールが来ていたので、おいコラどういうこっちゃねんと思いつつ、このような形で寝耳に水のご連絡をいただいてとても残念な気持ちです、と丁寧に落胆をこめて返信をした。気持ちをきちんと伝えておかないとこっちにもあっちにもいいことない。
すぐ担当者から電話がかかってきたので、底抜けに明るい声できちっと会話した。

夜ごはんはかぼちゃのチーズ焼き、キャベツサラダ、サーモンとタクワンでトロタク風など。

学級閉鎖対応は夫が在宅勤務で調整してくれるとのこと。サンキュー

明日はでっかい会議が2個もあるなぁとぼやいたら「仕事に出られることを喜びなさい」と言われた。
へぇ、おっしゃる通りで。


子どもの参観日での学級閉鎖発表というレアな体験をしました。このあとうちにもその余波がやばいことやってきて、この翌日からワークショップの仲間たちを心配させる日々が続きました。
のんきに日記と表現について書いたりしててさ…という気分になります。

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