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ニュー新橋ビル-第2話「常連さんお断り」

※この作品は2024年1月に開催される
ニュー新橋ビル商店街・秋葉原駅前商店街振興組合主催のイベント
「しんばし×アキバ カコ↓イマ↑ミライ展〜過去を知って、今を感じて、未来を描く〜」のために書き下ろしたものです。
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 ビルに入ると、いつものようにジューススタンドに向かった。野菜や果物をその場で絞ってくれる。僕のオアシスだ。
 フレッシュジュースの店は最近では珍しくなくなっているが、ここはその先駆けだ。なにしろ50年以上の歴史がある。そしてメニューも多い。メロンジュース、いちごジュース、バナナジュース……何十種類あるんだろう。ブルーベリーやにんじん、セロリといった、健康に良さそうなものが特に人気らしい。二日酔いのサラリーマンはウコンジュースを薦められる。
 どれにしよう。迷っていると、ふと前の客の声が聞こえた。
「ブロッコリー」
……そういえば……
 そんなジュースもあった。僕はブロッコリーが好物だったから、いつか頼んでみようと思っていたのだが、すっかり忘れていた。よし!
「僕も、ブロッコリージュースを」
 ところが。
「すみません。ブロッコリー、ないんです」
「えっ。だって今」
 僕は前の客に差し出されたカップを指さした。
「そちらのお客さんで、おしまいなんですよ。ごめんなさいね」
 エプロン姿のお姉さんが申し訳なさそうに言った。
「そうですか……」
 まあ、あきらめるしかない。
 もうすっかり口の中はブロッコリージュースの味を期待していたのだ。他のジュースを飲む気になれず、僕はスタンドを後にした。

 気分を変えて、昼食は大好物を食べようと思った。洋食屋に向かった。人気の店で、長い行列ができていた。
 この店は、列に並んでいるうちに注文をとってくれる。
「お客様は?」
 聞かれた瞬間、思いついた。
 いつもここではオムライスを頼んでいる。けれど、今日は……。
「オムドライ」
 これも、この店の人気メニューだ。チキンライスではなくてドライカレーをタマゴで包んだものらしい。ずっと前から、いつかは頼もうと思っていたのだ。
 なのに店に来るたびに忘れて、オムライスを頼んでしまっていたのだった。
 今日は思い出すことができた。ジュース屋で空振りしたおかげかもしれない。
 ところが。
「すみません、オムドライありません」
「へっ?」
 変な声を出してしまった。
「今日オムドライもう、売り切れなんです」

 オムライスを食べてから、ビルの中をまた歩いた。地階から四階まで数多くの店舗が軒を連ねている。
……どこかでタバコが吸いたいな……
 そういえば、気になっている喫茶店があった。
 通路から店内の様子が見える。広々とした空間に、ソファ席がゆったりと並べられている。窓がとても大きくて、そこからハシゴを組み合わせたような枠組みが見える。このビルの外壁には独特な幾何学模様の意匠が施されているのだが、それを内側から見るかたちになるわけだ。
 通りかかるたびに気になっていたのに、今まで一度も入ったことがなかった。タバコもOKだし、コーヒーの味も評判だ。入らない理由はなかったのだ。
 今日は良いタイミングではないか。
 ところが……。
「満席です」
 順番待ちのリストに書き込んでもらおうかとも考えたが、その表が上から下まですっかり埋まっているのを見て、あきらめた。

 仕方なく、ビル内の散策を続けることにした。
 ラーメン屋、居酒屋。ゲームセンター、理髪店、雀荘。ワイシャツ専門店。金券ショップ……本当に多種多様な店がある。僕が必要なものはたいていこのビルの中だけで揃ってしまう。
 と、思っていた。ところが、どうも今日はおかしい。
 古本屋が目に入った。これも馴染みの店だ。
 思い出した。いつか買おうと思っていたアイドル写真集が、ここにあった。
 発売当時は金欠で買いそびれてしまっていたその写真集を見つけた時はうれしかった。が、あわてて買う必要はないとも思った。かなり昔のアイドルだし、グループの中で目立たない立ち位置の子で、ファンなんだと言うとオタ仲間から珍しがられたほどだ。思った通り、ずっと棚に残っていたが、目に入るたびに、これは僕のための本だいつか買わなくてはと、思っていた。
 きっと今日がその日だ。
「あれ?」
 いつも置かれていた場所に、それがなかった。
 店員に聞いてみた。
「あの、そこにあった保田ちゃんの写真集……」
「ああ、あれ売れちゃいましたね」

 首をひねりながら僕は地下におりた。今日はもう飲もうと決めた。まだ日は高かったが、このビルではずいぶん早くから営業を始める飲み屋があるのだ。
 行きつけの一軒に入る。店内には出来上がっている客がすでに数人いる。
「いらっしゃい」
 割烹着の女将さんは年配だけどとても美人で、元は新橋芸者だったという噂もあった。声も立ち居振る舞いもしゃんとしていて、いつも元気をもらえる。
 そしてこの店は酒も、料理も絶品なのだ。ゆっくり日本酒を飲むことに決めてから、つまみを迷った。
 壁に貼られた短冊の一枚に目が行った。「馬刺し」と書かれていた。
 そういえばこの店が紹介された雑誌記事を見たことがある。そこでは、この店のイチオシは馬刺しだと書かれていた。僕は手を上げた。
「あのう……」
「はい!」
「このお店の馬刺しって……」
「日本一おいしい馬刺しよ。わざわざこれ食べに地方からくるお客さんもいるくらい」
「そうなんですか……ずいぶん通ってきたけど、僕、食べたことなかったな」
「そうね、馬刺しっておいしいけど好き嫌いがあるから、わざわざ薦めたりしないのよ。あなた人生損してたかもしれないわね」
 確かにそうだ。僕は迷わず頼んだ。
「ぜひ食べてみたいです! 馬刺しお願いします」
「あら!」
 と、女将さんは言った。
「残念。今日に限って馬刺し、ヤマなの」
 ヤマというのは品切れという意味だ。
「うわっ!」
 僕が大げさに反応したせいで、女将さんは目を丸くした。僕は言い訳した。
「あ、今日はずっとこういうことが続いていて……」
 簡単に説明した。ブロッコリージュース、オムドライ、喫茶店、写真集。そしてここの、馬刺し。
「僕が欲しいものに限って、ないんです」
 女将さんは話をちゃんと聞いてくれた。そしてしばらく黙っていたが、ふと口を開いた。
「わかるかもしれない」
 真面目な声だった。
「今日行った先々のお店であなたが欲しがったものって、全部、あなたが一度も頼んだことがないものだったでしょ。そういうものに限って、無かった」
 僕は頷いた。確かにその通りだ。未経験だったから、持っていなかったからこそ、僕はそれらを望んだのだ。
「初めて頼んだものが無い。その理由はね、初めて頼んだものだから。つまりあなたが知らなかったものだからじゃ、ないかしら……」
 女将さんの姿が、ぐにゃあと、変形しはじめた。
「あなたの中にその思い出がなかったから、再生できなかった、という、こと」
 その声はゆっくりと低くなり、遠ざかっていく。
 僕は気づいた。自分が、本当は、どこにいるかを。
 あたりを見回した。
 2024年のニュー新橋ビル。すばらしい。最高の場所だ。
 たからこそ……僕は後悔していた。
 最高だということに、気づくべきだった。そして、全てを体験しておくべきだった。足りなかったのだ。もっと、もっと楽しむべきだった。
 今は一瞬で過去になる。今自分が望むことを、今ここで、この場所で、全てやっておくべきだった。生きているうちに。

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