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ニュー新橋ビル-第3話「タイムマシンビル」

※この作品は2024年1月に開催される
ニュー新橋ビル商店街・秋葉原駅前商店街振興組合主催のイベント
「しんばし×アキバ カコ↓イマ↑ミライ展〜過去を知って、今を感じて、未来を描く〜」のために書き下ろしたものです。
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 営業で一日歩き回り、疲れ果てていた。軽く一杯飲んでいこうと思った。ネクタイを緩め、なじみのビルに立ち寄った。
 細い通路を歩いていると、ふと古めかしい木製ドアが目に入った。
 こんな店があったことをこれまで知らなかった。ドアを少し開けて中を覗くと、マスターが一人でやっているカウンターだけの地味なバーだった。入ってみることにした。
 メニューを見るとワインを多く置いていた。2010年のサン・テミリオンを頼んだ。
 それがとても美味しかった。
 酒は不思議だ。飲むと、その香りと味わいから、昔のことがふわっと蘇る。2010年の酒が、僕の中からその時代の記憶を喚起した。十数年前、大学生だった頃のいろいろなことを。
 一本飲み切ったら、さすがに酔った。マスターに礼を言って店を出た。
 その時なぜか急に、自分の髪が気になった。
 就職して以来ずっと左右を短く刈り上げたヘアスタイルを通してきたのだが、いつの間にかすごく伸びていた。両耳を覆うほど伸びたのは大学生の頃以来だった。
 まだそれほど遅い時間ではなかった。このビル内には理髪店もあったことを思い出し、ふらつく足で階段を上った。
 その階はマッサージ店が多く、目当ての理髪店に着くまでに呼び込みの女性達が次から次に伸ばしてくる手をすり抜ける必要があった。
 なんとか店に入り、椅子に座った。酔いがさらに回っていた。とても眠い。
 ずいぶん昔の週刊誌を置いてあるのが気になった。対照的に内装は真新しい。
「改装したんですか」
「改装っていうか、開店したばかりですよ。こっちはね」
「こっち?」
「あれ、知らないのかな。近所から引っ越して来たんですよ。こないだまでは、ほら、駅のレンガアーチの下でやってたんです。あの高架に工事が入ることになってね、こっちに移転が決まって……」
 理容師さんの話は、こないだといっても2010年くらいのことのはずだ。夢うつつの中でそれを聞いていた。
 髪型についても、特に何も言う必要はなかった。この店のメニューは基本的にカットだけで、任せておけばほんの20分ほどでさっぱりと整えてくれる。
「お待たせしました」
 目が覚めた。そして鏡の中の自分の姿を見て驚いた。
 ゆるめのパンチパーマを後ろに流したような。これは……。
「軽くカットして整えておきました。お客さん、これ健太郎カットですよね。1978年の最新モードです。決まってますよ」
「ちょっと待って……今、何年って?」
 がたんがたん。理容師さんの声が、頭上に響く音でかき消された。電車の音?
「高架下だから、やかましくて悪いね」
 高架下から移転したと、さっき聞いたのではなかったか。
 店から出ると、僕は混乱した。屋外だったのだ。雑居ビルの2階にいたはずが、そこは駅前だった。目の前がSL広場で、僕がいるはずのビルはその奥にあった。
 あのビルから、この場所にワープしたというのか。
 違和感は場所だけではなかった。駅前を歩く人々の様子がおかしい。髪型を見るとサラリーマンの多くは七三に分けた髪をきっちり固めている。パンチパーマやリーゼント、そして今の僕と同じ「健太郎カット」も見かける。学生らしき若者は、だらしない長髪が多い。若い女性に目立つのは、長い髪にいくつもの段差をつけながらサイドに流した、サーファーカットと呼ばれたスタイルだった。
 ここは2024年でも、2010年でもない。なら、いつだ?
 僕は早足でまた元のビルに戻った。
 ぴしゅんびしゅん。単調なコンピュータノイズが聞こえた。レトロゲームに特有の効果音だ。ぴしゅんびしゅん。ドッドッドッ、と、地響きのような低音も。
 その音はあちこちから聞こえた。
 1階に数か所、そして2階に上がっても数か所、同じ音が響くゲームセンターがあった。よほどのブームなのだ。
 覗くたびに同じ風景が広がっていた。がらんとした暗い空間に、テーブルゲーム筐体がずらりと並ぶ。全てが同じゲームで、同じ単色画面で、その様子は夜空を映した湖面のようだった。
 ゲームに熱中しているのはほとんどがスーツ姿のサラリーマンだった。
 僕もスロットに100円玉を入れていた。ゲームは『スペースインベーダー』。そのシンプルなオープニング画面に「1978」という年号表記が見えた。
 レトロゲームは得意だ。「名古屋撃ち」というテクニックを決めて1面をクリア。すると画面が別のゲームに切り替わった。
 僕はダルシムを操作して、ザンギエフに火を吹きかけていた。これは『ストリートファイターⅡ』だ。
 辛勝した。僕が座っていたのは対戦台だった。顔を上げると周囲にはカラフルな落ち物ゲームや、女の子が色っぽい声でしゃべる麻雀ゲームが並んでいた。
 ゲーセンから通路に出た。肩の張ったスーツを着た男性や、髪を左右非対称の幾何学的形状にした女性が歩いていた。
 そうか。ストⅡの頃なら、つまり「バブル」と呼ばれた時代だ。
 ビル内には金券ショップがとても目立っていた。その一つに入ってみた。壁のカレンダーには、1991年の文字があった。
 有名百貨店の商品券がショーケースにずらりと並び、新幹線のグリーン席回数券の売値を記した紙が壁いっぱいに貼られ、それらを買い求めに来たであろう客たちで店内は独特の活気に満ちていた。コインや切手といったコレクター向けの品も並んでいる。大きなスペースをとっているのはテレフォンカードを扱うコーナーだ。アイドルのテレカに30万、40万といった値札がついていた。NTTの前身「電電公社」発行のテレカに、高値がついていた時代だ。
 隅の一角に、古い鉄道切符が並んでいた。小さな長方形の厚紙だ。その存在感に惹かれ、1枚買ってみた。昭和31年……西暦1956年のものだと言われた。
 このビルは、この街は、一体全体どうなってしまったのか。わからなかったが、僕はもう考えることを諦めていた。
 ひたすら歩いた。階段を上がると、鉄道ショップがあった。この街はもともと鉄道発祥の地だということもあって、以前は鉄道マニア向けのグッズの店がずいぶん多かったと聞いたことがある。
 入り口に駅員のコスプレをした店員が立っていた。手にペンチのようなものを握っている。そうだ、と思いつき、さっき買った切符を見せてみた。すると駅員はそれをペンチでパチンとはさんでから、通してくれた。
 店に入った。と思ったら、屋外に出ていた。そういえばこのビルの4階にはテラスがあった。その場所に出たのだろうか。そこからは右手に駅が、その向こうに銀色の高層ビルが見える。そして左手の広場にもう走らない蒸気機関車が飾られている……はずだった。
 だがその風景は違うものだった。左側ではなく、右側に蒸気機関車が見えた。それが、煙を吹き出しながらゆっくりと、力強く、走っていた。
 僕はテラスではなく地上に立っていた。振り向くとそこにあのビルはなく、大きな長屋のような木造建築物があった。「新生マーケット」と大書されている。
 洋食屋や食料品店、あるいは時計やメガネ屋の看板が見える。そして居酒屋の赤ちょうちん、バーやスナックのネオンがちらちらと光っている。
 そうか。戦後の闇市がいったん整理されて、この建物にまとめられた。その後、その場所がビルへと建て替えられたのだ。
 当初は、駅とビルを直接つなぐという計画もあった。4階のテラスは、その入口を想定して設計されたものだったらしい。
 そういう歴史もありえたんだ。ならば僕はここから、別の時間軸に進むこともできるのだろう。
 ただしそうしたら、元の世界には戻れない。
 元の世界に戻るか。それともここであの蒸気機関車に乗り込んで、別の未来に進んでいくか。
 僕は迷った。

 おかみさんに背中をはたかれて、我に返った。僕は居酒屋のテーブルに突っ伏していた。
「ウィスキーとかワインとか、ちゃんぽんで飲むから、酔っ払ってしまったのね」
 顔を上げた。見慣れた風景だった。壁の品書き。黄ばんだ色紙。ずらりと並ぶ日本酒の一升瓶。ビアサーバー。カウンターのネタケースの中の鮮魚。コンロの上には煮込みが入った鍋。無駄なく立ち振る舞う板前さん。カウンターでテーブルで、いい具合にできあがった客たちの会話。喧騒。
 なんて美しいんだ、この世界は。2024年のニュー新橋ビルは。
 ここに戻ってきて、本当に良かった。

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