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讎に恩で報いた王_現代人のための仏教説話50

昔、天竺(インド)に二つの国があった。一つの国を舎衛国(古代インド北東部にあった国。以下、シャエ国)と言い、もう一つの国を摩掲提国(舎衛国の南にあった。以下、マガダ国)と言う。シャエ国の王は波斯匿王と言い、マガダ国の王は阿闍世王と言ったが、二人はとても仲が悪く、ある時、両国の間で戦争が始まった。

両軍とも象兵・騎兵・歩兵など何千何万という大軍を繰り出し、国家の存亡をかけて激烈な戦闘を展開した。結果、シャエ国の波斯匿王の軍が敗れた。王は捲土重来を期して再度戦いを挑んだ。が、またしても敗れ、三度目も敗れた。国に引き上げた波斯匿王は嘆き悲しみ落胆し、食事も喉を通らなくなり、夜も眠れないありさまとなった。

その時、王の嘆きを聞いた須達という長者が王の前に現れて言った。

「この国の軍隊は、死力を尽くして勇敢に戦いましたが、残念ながら兵力の点で相手より劣るため、戦うたびに敗れてしまいました。そこで私に一つの提案があります。私の蔵には多くの財宝が蓄えられていますが、これをすべて軍資金として投入してはどうかと思うのであります。その噂が周囲の国々に広がれば、手柄を立てて褒美をもらおうという者がドッとわが国に集まってくるのは必定です。そうなれば兵の数でわが方が優位に立ち、マガダ国の兵士がいかに勇猛といえども、わが軍に勝てるはずはありません」

聞いた波斯匿王は大喜びし、直ちに須達の家に使いを出して財宝を運び出し、軍隊に配った。噂はたちまち世間に伝わり、近隣国から兵士たちが雲霞の如く集まってきた。

そこで波斯匿王は万全の準備をし、改めてマガダ国に戦いを挑んだ。マガダ国の阿闍世王は自信満々、「蹴散らしてくれるわ」と軍を率いて戦場に現れた。対する波斯匿王は、大勢の兵士の中から武力に優れた者を選び精強部隊を編成して先頭に立たせ、その後に二陣、三陣を備えて突き進む作戦を取った。この戦法は成功した。阿闍世王の軍隊は圧倒的に数で勝る相手に押されに押され、兵士は戦意を阻喪して退散した。

マガダ国の軍は破れ、阿闍世王は捕らえられて波斯匿王の前に引き据えられた。阿闍世王は殺されることを覚悟した。が、波斯匿王は阿闍世王を側に呼び寄せ、自分の車に同乗させるとお釈迦様のもとを訪れた。すべてを知っておられるお釈迦様は、言われた。

「阿闍世王は敵国の王なれば、首を討たれて当然というところであろう。だが、讎(怨み)には恩をもって報いるのが善政というものである。されば、殺すべきではない。それが善い、善いことだ。それが一番である」

さらに、続けてこう言われた。
「大王(波斯匿王)は善き分別判断をなされた。讎に対して恩をもって報いれば、讎というものはなくなる。たとえ三世(過去・現在・未来)に恨みをもち続ける者であっても、恩を施されれば讎の心は消えるというもの。大王はこの心をわきまえて阿闍世王に憐れみの恩を施された。誠に賢きご処置である」

こうして、波斯匿王は阿闍世王を許した。殺されると思っていた阿闍世王は許されて、恨みの気持ちをもつことなく波斯匿王に感謝と崇敬の念を強くした。この噂は近隣国にまで広がって、波斯匿王を敬わない者はいなかった。

さて、戦に勝って平和を得た波斯匿王は、財宝を提供してくれた長者の須達に言った。

「この度の戦に勝てたのは、偏に長者のお陰である。であるから、願い事があるならすぐに言いなさい。何でも叶えてつかわすから」

長者は有り難く恐縮し、地面に両手をついて伏しながら答えた。

「誠にかたじけないお言葉を賜り、恐悦至極に存じます。お言葉に甘えて申し上げさせていただきます。私の願いと申しますのは、七日間だけ私を王の位に就かせていただきたいということでございます。何卒よろしくお許しくださいませ」宣旨によって国民はこぞって須達の命令に服し、そのようすは、あたかも風に靡く草のようであった。須達は、鼓を打ち鳴らし法螺貝を吹き、国民に王命を伝えた。「王命を告ぐ。身分・性別を問わず、すべての国民は仏の教えに帰き 依えし、王は深く頷かれ、側近の大臣たちに次のような宣旨(王の命令)を出すように命じた。

「これより七日間、須達をこの国の王とする。国への収納物はすべて須達の家に運ぶこととし、国を治めるうえでの一切の権限を須達に与えることとする。直ちに触れを出せ」

宣旨によって国民はこぞって須達の命令に服し、そのようすは、あたかも風に靡く草のようであった。須達は、鼓を打ち鳴らし法螺貝を吹き、国民に王命を伝えた。「王命を告ぐ。身分・性別を問わず、すべての国民は仏の教えに帰依し戒(仏教上の戒め)を守るべし」と。国民は挙げて仏の教えに帰し、戒めを受けること限りなかった。

七日がたち、須達は王の座を国王にお返しした。須達は、国民すべてが仏のご利益を得られるようにするため、七日間だけ王位に就いたのである。それを見てお釈迦様は、「須達は七日だけ王になり、多くの人々を仏の教えに向かわせ、功徳を受けられるようにした。来世においては仏となり、道に迷う一切の衆生を悟りの道に導くことであろう」とおっしゃられた。

〔今昔物語集・巻第一第二十九〕

【管見蛇足】恨みに報いるに徳を以てす

 私財を投げうって戦争を勝利に導き、七日間王となって国民を仏教に帰依させた長者も偉いが、敵国の王を許した波斯匿王も偉い。ここでは「以徳報怨=徳以って怨に報ず」と偉いが、敵国の王を許した波斯匿王も偉い。ここでは「以徳報怨=徳以怨に報ず」と
いう教えを受けるべきであろう。
「怨みに報いるに徳を以ってす」(老子)、「他人は出来るだけ許せ、己自身は決して許すな」(シルス『箴言集』)とはいっても、人はなかなか恨みに寛大にはなれない。「とかく他人に厳しく、自分自身に寛大なのは凡人の常だ」(本田宗一郎)から。
 しかし、恨みに恨みで応えたのでは、いつまでたっても恨みの連鎖が続いてしまう。だから、「慈善は婦人の徳、寛大は男子の徳」(アダム・スミス)と心得て、「真の寛大とは、忘恩をも受け入れること」(ココ・シャネル)。実際、自分だっていつ他人の恨みを受けるようなことをするかもしれないのだ。「寛大になるには、年を取りさえすればよい。どんなあやまちを見ても、自分が犯しかねなかったものばかりだ」(ゲーテ)し、人を信じれば結局は自分も信じられることになる。
「人を信じなさい。そうすれば、人はあなたに誠実にふるまうだろう。人に寛大でありなさい。そうすれば、人も寛大さを示してくれるだろう」(シルス『箴言集』)ということである。

仏教説話50 表紙仮画像

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