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『ファッションについて』

長らく、したい格好ができていなかった。多分修士課程くらいから。周囲から文句を言われ過ぎて。それと、しんどくなると、どんどん楽な格好をしたくなる。身体を締め付けない服とか、軽い服とか。綿とか。楽な靴、とか。

おしゃれは人と違う基準でしていても、好きだから、頑張ったと思う。後ろ指刺されないオシャレのために。日々、風呂に浸かりながら、女性ファッション雑誌を細部まで読んだり。ありとあらゆるものを試したり。自分の身体のサイズに、かなりピッタリとしたものが好きなので、体型がどんどん変わって散財もした。

女性らしい格好、大学教員らしい格好、地域の気候に適した格好、冠婚葬祭用の格好。つまり、好きとは関係ないことでばかり、頑張っていた。

買い物も好きではないので、近所の店に、おしゃべりしがてら通って、イタリアの安い服を年に何回か買い付けに通っているお姉さんに、手ほどきを受けたりしていた。

でも、そういう努力は、今になると、私を鍛えたなと思う。

例えば、それなりにボリュームのあるレザージャケットを着ると、下はそれなりにスリムなパンツでないとおかしいし、足元は逆にそれなりのボリュームがないとおかしい。なんでかって、バランスとはそういうものだから。重みと軽み、長短、そして抜け感で、バランスを取る。

色も、黒っぽいものを着ているけれど、全部真っ黒なわけではない。むしろ、真っ黒は基本的には着ない。着るなら、差し色として。全体としては、黒と灰色とダークグリーンの中間、みたいな色のものの面積を大きく取ることが多い。黒っぽいけれど、素材と色が少しずつ違うものを組み合わせる。

そして、差し色を一色か、同系統を3色くらい組み合わせ、一カ所に部分的に入れる。髪の毛を染めているというのは、これについて考える手間を減らす。髪を染めていないなら、足元。どちらでもないなら、ストールとか。それならば、「巻物男子?」だったかにならないように、またバンダナを首に巻いてるみたいにならないように。小さいカバンをこれに替えることはできるけれど、取られる危険性を考慮に入れないといけない。マニュキュアや、アクセサリーも、それなりに使える。

身体という素材にもよる。私は身長が低いので、オーバーサイズは、そもそも難しい。

あからさまにモードっぽいのも好きではない。好きなのは、あくまでストリートファッション。こういうのは、好みだから、仕方がない。

しかし、本当にしたい格好をすると、嫌な目にあう。この西海岸の大きめの街でも。何故なら、反社会的だから? 反社会的とは何か? アタシの場合には、あからさまにダイクだから、でしょ? あるいはトランスだから。ダークスキンだから。パンクの人たちがどういうつもりで、パンクな格好をしているか分からないけれど、私は社会にモノを申したくて、レザーダイク的な格好がしたいわけではない。単に自分らしく、好きな格好だから。

ずーっとずーっと、いつもいつも、好きな格好をしないで溶け込める格好をすることで、嫌な目に遭わないように試みてきたし、どれくらいの加減なら、嫌な目に遭わないか、みたいなことばかり考えてきたし、たくさんの我慢をしてきた。しかし、もうしたくないから、住む場所を変える。

というか、道を歩いているだけで嫌な思いをするのって、そんなに一般的な経験ではないみたい。自分にはそんな経験はないので起こるはずがない、ものとして処理されがち。本当にやれやれ、である。

顔をしかめられたり、なんか言われたり、悪態つかれたり、避けてくれなかったり、笑われたり、揶揄されたり、道を歩くだけで大変です。

しかし、我が道をゆく。



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