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『酷い目にあっていた家の話1』

ビクトリアの家を追い出されることになり、実は初めから、結構大変な思いをしてして、一週間とか、着の身着のまま逃げたのは、4回とか?

最初に、パスポートを日本に送っていた時に、荷物を受け取るのに住所を借りたら、不在票が入っていて、こちらでは再配達はないので取りに行かないとなんだけれど、名前を貸したルーミーは、その不在票を見て、悪態をついていた。私は怖くなって、一緒に部屋にいたデートしてた相手に確認したけれど、やっぱり荷物を撮りに行かないといけないかもしれないことに、悪態をついていたと、英語ネイティブの彼女は言っていた。

きちんと話をして、理解してもらえないなら、引っ越せと彼女は言った。しかし、その、彼女にもコントロールされ始めていたので、彼女とは別れたけれど、家には残った。それからも、辛くて辛くて。

だけれど、カウンセラーは、良い人たちだと言ってましたよ、と。もちろん、私を虐待していた両親に対しても、そういう風に言うことは多々あった。あんまり、虐待児を扱ったことなかったのかもしれないし、私の最終的なアイデンティティが、キンクだったり、SWだったりするとは思ってなかったみたいで、プレイ中にトランスとして、しんどい目にあった事については、完全にセカンドレイプ発言をしていたけれど、私には、他に頼れるカウンセラーを見つける力はなくなっていた。

もちろん、私が大学の教員だとか、アカデミックな仕事をしているとか、それに類似する仕事をしようとしているとか、それなら、対応可能だったろうし、そういう感じの間は、長らく、大変お世話になりました。コーチもそう。私が島であってきた酷い経験は、日本が出自の彼女たちにも、経験し得ないもので、そうなると、やっぱり難しくなるんだなぁと思った。そのわかり得ない差異が、決定的になって、離れざるを得なかったと思う。

人の新陳代謝は、激しいタイプなので、そんなもんだと思う。

住んでいた家が、本当にやばいと分かった話は、もう少し経ってから書こうと思う。今書けるのは、新しいシンクロルーミーは、私が引っ越しするのに、可能な限り楽にできる様にしたいから、何でも言ってと言ってくれたこと。そして、お金のないアタシのために、無料の家具を見つけて教えてくれたり、それをしばしばやってて、ついに、この週末に、運んでくれる人も見つけてあげられるよと言ってくれた。

それで、ちょうど同じタイミングで、次の人が使わないと言うから、自分でベッドを運び出して捨てろと、酷い目にあってた家のルーミーであり家主に言われた時、もはや、どうにもならないくらい酷いなと、そう思った。そのベットは、前の人が使わないからと置いていくのを私が200ドル弱出して買ったもので、それは、互いにとってちょうど良かったのかもしれないけれど、次の人が要らないと言うと、他に助けてもらえるあてがなく、難民申請するのと、ファンドライジングまでしている私に対して、それに上乗せのタスクを課してくるというのは、ちょっとあり得ない。

しかも、クイアは家の見つからない人が沢山いるのに、それ自体に認識がなく、広告を出さなかったので、私はもう1ヶ月分を、新しい場所と二重に払うことになってた。ハクジングクライシスなことに認識のないクイアハウジングって???である。

もうちょっとしたら、信じがたい酷い話を、順番に書きたいと思う。


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