失敗の記録、立ち直りの覚書

先ず、優劣でなく違いと受け止める。ただこれは十分な健康を保ち、怠惰でないかが前提。

上手く行かなくてもそれは個人が集団から劣ってるからではなく、その周りが一斉に出来る事と個人が出来る事が違うだけ。何の考慮もなしに個人は無、集団は全と判断してはいけない。 逆もまた然り。世代が変われば必然的に大多数揃って進化していくが、変わったやり方の人は、時間に関係なく進化できる可能性を秘めている。

それに必要なのは覆し難い決定事項を前提とした、自分の中の善・悪の基準や経験に基づき判断・考慮出来る力と、小さな変化を普段から感じてそれに疑問を持ち、確かめる術を知っている事。たまにその方法から離れて壊してみる事も又そのサイクルの中に必要だと思う。


人生は用意された時間の中で成りたい自分になるための過程…成長や改善が見えれば過程が楽しくなる。誰かが作ってくれた目的がなくても。


余談、物質主義が終わった後、情緒的価値の配分が高いモノが売れない、つまり物流に人の手を使ったデザインが不必要な時代が来る前に、みてくれデザイナー以上の力を蓄えなければ…
それでも未だ現実では改善点が目立つ。言葉不足だとか意識統一不足認識不足とかで私の目指すものがある意志の上にデザインされたレイアウトものはゴミ箱にポイされていて自分の癖でジャーっと空にした結果、自分の約3時間は無になったことを覚えておこう。2度3度同じ質問したのにな。そんな疑問の中躊躇しながら時間かけたのにな。

デザインと言う言葉が浸透する前世代の管理者がいる職場は大変。


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