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今年の夏も梨が届いた。

今年の夏も梨が届いた。
送ったお中元のお返しだ(と思う)。

立派な梨だ。
梨をひとつ、手に持つとずっしりと持ち重りする。
みずみずしさが持っただけでわかる。

さっそくお礼の電話をかけた。
相手は城山忠雄さん。

僕の2年目の就職活動のとき初めて城山さんにお会いした。
前にも書いた自分に自信が全くない、そんな頃のこと。
父が(見るに見かねて?)「年齢が全く違う人と会ってみないか?」と、父の大学時代の同級だった西武信用金庫の理事長を紹介してくれた。

その理事長が「ちょうど業務提携する企業があって、その企業が属しているセゾングループなら仕事がたくさんあるから参考になるのではないか」と、そのうちの一社であるクレディセゾンを紹介してくれた。お会いしたのはその人事部長を勤めてころの城山さん。

就職活動中に数回、城山さんのオフィスを訪ねた。
いろんなお話をしていただいた覚えがあるが、記憶に残っているのは2つ。

そのうちの1つは
「いけないと言われていること以外は、してもいいんだよ」。

ちぢこまっていた僕は、新たな挑戦を怖がっていた。
無気力になっていたのかもしれない。
そんな僕に、踏み出せと、そして殻も破れと示唆してくれたひとことだった。

のちに城山さんはそのことばを僕の前で実践してくれた。
それが2つ目の心に残っていることだが、それはここでは書かない。
出会った方には酒飲みの笑い話としてお話しよう。

殻を破れという話の例として、セゾンカードがVISAやMasterと提携したときのことを教えてくれた。
当時、流通系のハウスカードは、文字通りショップのハウスカードだった。

その殻を破ったのはセゾン。
ショップカードが世界に通用するクレジット(信用)を初めて手に入れたのだ。
それを担当したのは当時20代の社員。
苦労した交渉のことなどを嬉しそうに滔々と話す城山さんの表情は忘れられない。
僕らの前には、まだ皆が気づいていない新領域が広がっている。
そういう時代だよと教えていただいた。

僕はその後、I&Sという、当時セゾングループの一翼を担っていた広告会社に一般枠で応募し、入社することになった。

あれから30余年。

城山さんはその後、クレディセゾンの取締役、常務取締役を務められ、平成13年にセゾン情報システムズの会長に就任。
現在はリタイヤードとして悠々自適の人生を送られている。

僕といえばI&Sに7年間勤めたあと、思うところあって九州の広告会社に転職。今に至っている。

城山さんへお中元とお歳暮を送るようになったころ。
僕は、就職活動のときのご恩返しだと考えていた。

そして昨日。
梨のお礼を申し上げたとき、僕の口からそれまで思っていたことと違ったことばが溢れてきた。

「セゾンで様ざまな体験をする機会をいただき、ありがとうございました」
「あのときの体験やセゾンの思想に触れたことが、いま生きています」
「むしろいま必要なことをセゾンは30年前に実行しようとしていました。その時の体験や考えが、いまの僕の仕事で、形になったりしています」

ひとつひとつのことばに込めた気持ちは真実。堤清二さんを総帥とするグループ企業は新しく、実験性に富んでいた。そして堤さんを戴くが故に企業行動原理が明確だった。いま企業活動に必要だと言われ始めた「哲学」のようなものだ。

電話口の城山さんは年齢を感じさせる穏やかな声で、相槌を打っておられた。
これから何度、城山さんとこのような会話を続けていけるだろうか。

コロナの前であろうが後であろうが、大事なことがある。
それは生きていく原動力だ。

あのとき、城山さんが教えてくれたことばは、僕の心の原動機のスタートボタンを柔らかく、しかも力強く押し込んでくれた。

「踏み出せ」
「殻を破れ」
人口ボーナスがなくなり新たな経済を起こす今こそ、コロナ禍で前が見えない今こそ、中央と地方という空間意識が大きく変化しつつある今こそ、必要なことば。

城山さんのことばだったけど、もしかするとそれは新しい企業グループだったセゾングループの魂の一つだったのかもしれない。
そして今日も明日も明後日も、このことばは僕の魂を揺さぶっていく。
城山さんへ、年末も、来年の夏も、感謝のことばを届けられますように。
僕はいま、そう願っている。

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