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2023.12-② 今週の出費、自炊・料理の話、優しい言葉をかけてくれた他人について

うちのインコは、私がケージのそばによってもこちらをチラッと一瞥する程度なんだけど、彼がよるとケージにがっちり張り付いて「ぎゃー!」とか「ぎゃっぎゃっぎゃっ」とか「びええええぇ」とか多様に叫んで、出せ出せと主張する。
笑っちゃうくらい主張が激しい。彼がいつも「うるさいバカ、焼き鳥にするぞ」とかなんとか言ってケージから出すのがルーティーンになっているので、それを心得ているみたい。

今週の出費は、固定費の支払いも含めて5,000円くらい。
昨日は「君たちはどう生きるか」と観てきました。
令和版「千と千尋の神隠し」という印象だった。

先週お金使い過ぎたので、今週はひたすら節約して質素な自炊になった。

というか、久しぶりに作ったオムライスが思いのほか好評だったので、次の日にケチャップライスを三合分作って冷凍して、次の日から卵につつむだけの状態にして4日連続で夕飯はオムライスになった。
以前、あまり好きじゃないと言っていたから、得意なのに封印していたのに。

炊き方が悪いのか保存が悪かったのか、数ヶ月前に買って残っていた玄米がどうも美味しくないので、いっそ全部ケチャップライスにかえてしまおうかと思う。

自炊や料理について、その分野の力が最近になってようやく身についてきた。

思えば、一人暮らしをいていたときはまるで生活力がなかった。ほとんど毎日外食か買い食いだったし、たまに作っても決まったものしか作ら(れ)なくて(ある意味では今もそうなんだけど)、今日からは自炊するぞ!と意気込んで食材を買い込んでも、半分くらいは腐らせてしまうのが関の山でした。あのときの食材たちは、もったいなかったし申し訳なかった…ごめんなさい。

食材の買い出しから片付けまでを含めても料理が趣味として好き、行為として楽しい、という人でもなければ、自炊を続けるのにはコツがいると思う。

大前提は、可能な限り楽をすること。

昨日と同じものを食べるのは当たり前だし、
あとは、一汁三菜の固定観念を捨てたこともよかった。
今週でいえばオムライスだけ、普段もごはんと具沢山味噌汁(圧力鍋に野菜と肉をいれてスイッチ押すだけ)みたいな感じ。
そのせいか、定食屋さんで小鉢がたくさんついた定食に魅力を感じる。
さらに、たまに家で【ごはん、汁物、おかず、副菜】みたいな感じで出すと「なんか今日は豪華だね!」と言ってもらえるのでお得。

例えば、玉ねぎはみじんぎり、とレシピに書いてあっても、多くの場合、チキンライスだろうがトマトソースだろうがオニオンスープだろうが、半分に対して6等分くらいで問題ない場合が多い(私はむしろ玉ねぎの存在感があるのでこっちの方が好き)。

食に対してこだわりが薄いわけでは全然なくて、外食に行けば常連の店ですらグランドメニューから壁掛けの品まで2周は見るし、むしろ自分では美食家であるとすら思っているんだけど、家事としての食事と娯楽としての食事は解釈がぜんぜん別物だと思う。

昨年からお気に入りの甲州にごり。甘めだけどすっきりで、飲みやすい

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マグカップを見ると、いつかSNSで見た「迂闊に100均でマグカップを買うな。うっかりダイソーで買ってしまった俺は10年以上使っている」という笑い(?)話を思い出す。100均でも十分、すぎるという裏付け。

私が使っているマグカップは、なんだったかは思い出せないんだけどとても落ち込んだ日の数日後に彼がなにも言わずにプレゼントしてくれた。

good luck の文字入り

粉々に割れてしまったりしない限りはずっと使うし、例えば落として割れてしまったら金継ぎにすることを考えて、それも結構素敵だな、と想像してる。

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全くの他人の激励を覚えていたりする。

近い記憶では、仕事を辞めた時に部署違いの上司で会社の副社長だった人に、「あなたには色んな勇気があるから、頑張って」と言っていただいたこと。

もう一つは、学生時代にバーで働いていた時、二人連れで来た男性のうち一人に「会社に入ってダメだと思ったらすぐに辞めて次を探したらいい。君みたいな子なら絶対に大丈夫だから」と言われたことがある。

その人の娘さんが当時社会人になったばかりの頃で、新卒で入った会社を鬱で退社し、転職してから元気を取り戻し、収入も増えたと話していた。
一度しか出会わないお客さんだった。少し酔っていたけど、だからといって飲み屋の若い店員をテキトーに持ち上げているという感じではなかった。
それに、(当たり前だけど)私に能力があるとか、どこにいってもひく手数多だとか、そんな趣旨のことを言っているわけではないこともわかった。

でも、「大丈夫」というのだけは多分ほんとうな気がして、時々思い出して何度助けられたかしれない。

彼らの言葉によって私は何度も励まされているということを、本人たちに知ってほしいと思うけど、伝達のしようがないので、そんな言葉をかけてくれた彼らの親身にせめて応えたいと思うし、私も自分とはこの先関わることのない他人にも、機会があれば、照れたり出し惜しみしたりせずに必ず言葉にして伝えていきたいと思う。

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