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「涙のtake a chance」(1984)風見慎吾 和製ブレイクダンスのゴッドファーザー

今回は久しぶりに昭和歌謡です〜。
今振り返ってみると、私が生まれて初めてブレイクダンスなるものを見たのはマイケル・ジャクソンではなく風見慎吾でした。歌手が歌ってる最中にバック宙する姿を初めて見たのも風見慎吾でした。(セイントフォーはバック宙ではなかったと記憶…)

コロナ禍で仕事が休業だった頃、何気なく観てみたYouTubeの動画が、かつての風見慎吾の映像でした。……凄い……凄すぎる!
当時もTV番組で観ていたハズなのに、令和のいま改めて観ても度肝を抜かれる超絶パフォーマンスなのでした!
「涙のtake a chance」…日本のお茶の間が初めて体験したブレイクダンス。画期的な瞬間だったと思うんですよね。

「涙のtake a chance」1984年12月21日発売
作詞 荒木とよひさ 作曲 福島邦子 編曲 小泉まさみ
オリコン最高10位 売上22.5万枚

先ずは聴いてみましょう。懐かしいな〜。今聴くとデジタルビートが安っぽいかな(笑)


風見慎吾といえば欽ちゃんファミリー。1983年に「僕笑っちゃいます」で爽やかなアイドルとしてデビューしたのに、この曲で突然ヘアスタイルをスポーツ刈りに変えて、ブレイクダンスを踊りだしたのには驚きました。
何が起こった⁉

以前、ラジオ番組で御本人が話していたところに拠れば、慎吾さんは元々哀川翔さん達が組んでいた路上パフォーマンス・チーム劇男零心会(一世風靡セピアの前身)のメンバー。つまり運動神経は抜群だったんですね〜。
ある日、同じチームの野々村真さん(!)が欽ちゃんの番組オーディションを受けるのに付き添ったところ、まさかの自分がスカウト。欽ちゃん曰く、声が大きかったからとか。ところが最近になって、合格にしたつもりはないのに勝手に入ってきたと言われているそうです(笑)

欽ちゃんファミリーの一員として人気を博す慎吾さんですが、当時米国のストリートで大流行したブレイクダンスに衝撃を受け、どうにか歌手活動に取り入れたいと考えます。大将の欽ちゃんに相談したところ、やるなら本気でやれと発破をかけられ単身渡米。
ニューヨークのダウンタウンで踊っているチームを見様見真似目で研究し、ダンス習得の為に彼等が路上で売るビデオテープ(踊る姿をホームビデオで撮っただけの粗悪品)を数万円分買って帰国したというのですから、涙ぐましい努力があった訳ですね。

当初、慎吾さんの新曲は「時計を止めて」(後のわらべの3rdシングル)だったのを固辞。急遽、ダンスビートを取り入れた新機軸となる新曲「涙のtake a chance」がここに出来上がったのでした。

ジャケット裏に踊り方のレクチャー。これ見て踊れる人はまず居ないでしょう笑。因みにB面は同曲のインスト。急場凌ぎだったことに納得です。

さて、この当時の私はTV番組《ザ・ベストテン》のヘヴィウォッチャー。毎週欠かさず付けていた「ベストテン・ノート」から「涙のtake a chance」のチャートイン・ランキングをここに記しておきます。

1985(昭和60)年
1/31付 7位 7253点 初登場
2/7    5位 7429点  
2/14  4位 7626点  
2/21  6位 7926点  
2/28  7位 7256点  
3/7    9位 7376点  
3/14   10位    6866点  

10位以内のランキングは7週間。最高位は2/14付の第4位。最高得点は翌週2/21付の7926点。8000点近くを叩き出しながら第6位だったのは不運ですね。
ちなみに月曜放送の日テレ系《ザ・トップテン》では9位→6位→7位→圏外→7位→8位→9位→9位でした。

ではこの頃のキレッキレのダンスをするテレビ出演時の風見慎吾さん(多分NHKのレッツゴー・ヤング)、是非ご覧ください〜。

これだけ激しく動いて口パクでないのが凄すぎます。当時の芸能界のガチさ加減に頭が下がりますね。今ならやらせないでしょう。
途中でマイクを落とすアクシデントにもコミカルな対応。さすが萩本欽一に鍛えられたタレントです。

ところで、慎吾さんのダンス路線はもう一曲あったのをご存知でしょうか?続いてのシングル「BEAT ON PANIC」。この曲は洋楽テイストでカッコ良かったんですよ〜。

「BEAT ON PANIC」1985年4月24日発売
作詞 水色玉青 作曲 福島邦子 編曲 小泉まさみ
オリコン最高13位 売上10.5万枚

ダンスに加えてヌンチャクを持ち出して、ラップっぽい歌唱も新境地でした。今思えば当時の芸能界でも最先端のパフォーマンスだったのではないでしょうか。
この曲、テレビでの生歌唱がYouTubeに無いので、映像に曲を貼ったものをどうぞ。

この曲も「涙のtake a chance」ほどではないですが、ちょっとヒットしました。とはいえ《ザ・ベストテン》ではいつも11位止まり。でも《ザ・トップテン》では一週だけランクインしたんですよ。その時のランキングも記しておきます。

5/27付《ザ・トップテン》
1位 にくまれそうなNEWフェイス
2位 あの娘とスキャンダル
3位 ふたりの夏物語
4位 ミ・アモーレ
5位 常夏娘
6位 スクール・ガール
7位 DJ in My Life
8位 ボーイの季節
9位 そして…めぐり逢い
10位  BEAT ON PANIC


記憶というのは曖昧なもので、当時観ていたものもかなり忘れていることがあります。 1985年の風見慎吾は確かにカッコ良かった。

こちらは近年の風見しんごになってからの映像。58才にしては動いてますね〜。さすが。


きっと日本中に「涙のtake a chance」の風見慎吾を観てダンスを志したフォロワーは沢山いたことでしょう。本当はこの道の先駆者と言っていいのに、そんな素振りはオクビにも出さないところもカッコイイ。
2022年には芸能界の仕事をリセットして、米国で暮らす家族と一緒に過ごすために渡米した風見しんごさん。最愛の長女を交通事故で亡くす痛ましい出来事もありましたが、また日本であの飄々とした明るい姿を拝見したいものです。そして時にはまた踊って欲しいですね〜。


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