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ローザ・パークスや公民権運動が偉大だと思う個人的な理由


ローザ・パークスは中高の英語の教科書に取り上げられるほど立派な人物である。彼女がアメリカの公民権運動にもたらした功績は非常に大きい。


ローザ・パークス「変化とは、恐れず最初の一歩を踏み出すこと」 | W2.0 (synbi.jp)



バスの席を白人に譲らないという選択をして逮捕されてしまった彼女は、後に、このときの心境を「The only tired I was, was tired of giving in.」と述べている。

The only tired I was, was tired of giving in.

直訳:唯一、私が疲れていたことは、屈服することだった。
意訳:体が疲れていたのではない。服従することに疲れてしまったのだ。

Rosa Parks


個人的に「ローザ・パークスや公民権運動に参加した人々が偉大だ」と思う理由は「人種差別撤廃に向けて活動している時点では自分らの社会運動が絶対に達成されるという保証がどこにも無かったにもかかわらず、社会を良くするための活動を続けたこと」である。

予め「この社会運動は後々確実に成功する」と分かるのなら、どんな人でも「逮捕や近隣住民からの迫害などといった実害」を恐れずに社会運動を続けられるだろう。

しかし、ローザ・パークスや公民権運動に参加した人々の場合、その時点では、自分たちの社会運動が成功に終わるという保証は無かった。当時の米国の世論が動かなければ、ローザ・パークス達の気骨ある行為もむなしく、「何十年たっても大半の米国の黒人に公民権が無いという状況が続いていた可能性」もあったのだ。

2022年春の現時点において、ロシアの世論ではウクライナ侵攻に肯定的な声が多いようだ。だが、ロシア政府による情報統制を突破し、ロシア軍の実態を知った一部のロシア国民の中には、「戦争反対」という反戦デモを行う方々もいる。

これらの政治活動が必ず成功するという保証はどこにもない。しかし、彼らの活動がロシア軍の侵略に立ち向かっているウクライナ国民にとって希望となっているのは明らかであろう。

「自身の日常生活の快適さよりも社会全体を良くするために活動する人々」は賞賛されるべきなのだ。


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