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震災を知る~『町の形見』を観て~

こんにちは。マキタです。
天気が良い日は朝から家の中の光を撮りまくってます。最高です。

■『町の形見』を観劇しました。
先週、柳美里さん脚本・監督の『町の形見』という演劇を観てきました。
柳さん自身はこちらの演劇を「記憶のお葬式」と仰っています。
出演の方は、小高や南相馬に住む地元の方々(みなさん70歳前後の方)と遠方から来ていた学生や役者の方。出演者のみなさんが語り部となり、役者となり、演劇がつくりあげられていました。

この記事では、表記の都合上、地元の出演者の方を内の出演者、遠方から来られていた役者の方々を外の出演者、とさせてください。

もう終演後なので、少しネタバレになりますが…
劇中には、内の出演者の方の、3.11よりもずっと前の地元の方の青春時代の思い出や風景が楽しそうに、懐かしそうに、語られ演じられるシーンと3.11の時に思っていた本音や当時の様子をぽつりぽつりと、思い出されるように語られるシーンとがありました。中には、今現在のことを語られるシーンもありました。共演するシーンの他に、語りを外の出演者の方が聞いたり、ご本人たちに代わって演じたりしていきます。

私はこの演劇を泣きながら観ました。

■なぜ、涙が出てきたのか。
私はもともと、かなり涙もろい方なのですが、この演劇もかなり泣きながら観ました。
普段映画やドラマでは結構、感動で泣きます。
登場人物が大きな決断をする時やチームで何かを成し遂げた時、家族愛や想いの強さとかを感じた時に涙することが多いのですが、今回の劇中は正直そのようなシーンは多くなかった、というのが率直な感想でした。

なので「なんで泣いていたのか」と問われるとすぐに答えは出てこなくて。
この1週間、自分で考えたり、周りの観劇をした方といろいろな感想をシェアしあう中で、2つの大きな「これかも」という理由が浮き上がってきました。その2つとは

・「東日本大震災」という事実を受け止め切れていなかった
・大災害(思いがけずの事故)に対する恐怖心

です。

■私が知っていたこと
初めての記事にも書いたように、私が初めて小高を訪れたのはまだ、時が止まったままの2013年の小高でした。

『町の形見』を観劇したことで、この時に見た光景が、私の中で「最も辛い・ひどい状況の小高(東日本大震災)」と認識していたことに気づかされました。ボランティアに来ていたり、家族の被災を知り、最近は小高で働くようになり…そういった中で、なんだか私はちょっと3.11のことを知ったように思っていたのだと思います。

■劇で観たもの
でも、『町の形見』を観て、知らなかったこと(それは知り得なかったことかなとも思うのですが)がたくさんあったんだと、心がギュウっと、締め付けられるような思いになりました。

劇中では、先述したように、内の出演者の方がされていた「暮らし」が語られ、そこには震災前にあった風景も感じられました。当たり前ですが、もうここは、私の全く知らない部分で、でも小高や南相馬に在住していた方にとっては、当たり前にあったはずの日常。

そして、次のシーンでは、思い出の場所や日常がおかしくなってしまう3.11 14:46 その時の様子が劇を通して伝えられました。その時に内の方たちが見ていた周りの人のこと、風景、そして感じていた心の中のこと。震災が起きて、一夜、二夜あけた時のこと。原発が爆発してしまった時のこと、その時の家族とのやりとり。避難先から、誰もいない街へ1人で戻った時のこと。南相馬は原発の影響で避難物資を届ける人が、怖がられてなかなか物が届かなかったこと。初めて当事者の方の口から聞いて、ニュースなどでみたことはあったけれど、本当にそうだったんだって、やっと知って、悲しくなってしまって、涙が止まりませんでした。

また、避難先での生活のこと、そこから小高へ戻ってきて、庭の手入れに今は自宅に通っていること、当時助け合ったこと、など…出演者の方が震災と向き合って、今まで過ごしてきたんだなと感じる部分には、想いの強さに感動の涙でした。

■大災害や不慮の事故に対する恐怖心
『町の形見』を通して、改めて思いがけない災害や事故に対する恐怖心があるなあ、と感じるようになりました。

いろんな悲しいニュースを見て、世の中何が起こるかわからない、と考えることはよくあるのですが、本当、怖い。すごく怖い。
特に予期できないことが怖くて仕方ない。
ちょうど、今朝緊急地震速報が鳴り響いて、実際に大きな地震が今日はなかったけれど、怖くてしばらく泣いていました。

備えれば緩和されるものかもしれないけれど、なんだかそれだけじゃ拭えないような、大きな大きな恐怖心が、良くも悪くも芽生えたような気がしています。災害バッグを寝室に移動させよう・・・

■いろいろな感想がある。『町の形見』を観て何を感じたのか
お店の常連さんとお話ししたり、出演者の方とお話ししたり、そうすると観る人によって様々な感想がありました。
twitterでもかなりたくさんの感想がシェアされておりました。
私の感じたことも、本当、一つの感じ方ですね。

■もっと知りたい?伝えたい?
ここまで書いているともっともっと当時のことや小高にあったこととかを積極的に知りたくなったり、「こんな風だったんだよ!」と強く誰かに伝えたい、みたいになってしまうかもしれないのですが、ちょっとそれは違っています。

確かに、まだまだ知らないことがあって、小高で暮らすにあたり、地域のことを知っていきたいという気持ちはあるのですが、たくさんの人にインタビューしたりとか、当時のことって、、みたいな風に聞くことはしたくないし、その必要はないかなと思っています。というのも、小高でお店に立っていると、話したい人はそれこそ優しく語ってくれるし、話したくない人は話さない、ということをすごく感じるんです。それと同じかはわからないけど、私も無理に興味関心のない人へ聞いて聞いてと話す気にはなりません。

だけども、自分で思っている以上に、東日本大震災と向き合い、過ごしている人たちがいるということは私は忘れちゃいけなくて、知らないことを知っていくことは止めてはいけないとは思うんです。それは、小高に暮らす、私の礼儀のようなもの、なのかもしれないなあ…うまい言葉が見つからない…

『町の形見』出演者の高橋美加子さんに、ずっと泣いてました、と伝えると「みんなそこからスタートだから」と笑って応えられました。
なので、私はこれからも、南相馬の街(小高以外の原町や浪江、大熊町の方も)や人のことを少しずつ知っていきたいと思います。
なので、興味のある方は読んでくれたら嬉しいです!笑

今日も読んでくださりありがとうございました!

最後まで読んでいただけて嬉しいです。ありがとうございます^^サポートでいただいたお金では、新しい経験や美味しいものに使い、良いものは周りの人ともシェアしたいと思います!