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小学生の時の誘拐されそうになった体験

子育て中の私は今、自分の経験や思いからどんな私ができたのか知りたくなり、思い出してnoteに記し始めたが、今日は、小学2年生時の恐怖体験を思い出して書くことに決めた。

少し外は薄暗かった夏の終わり頃の事だったと思う。日中は暑いけど、夕方は涼しく感じていたようなイメージ。母が夕食を作っている間、外で2軒先のお友達と遊んでいた。

40~50代?の、会社帰りではない風貌だけど優しそうなおじさんが、私たちに声をかけてきた。

「まだ遊んでいるの?」「もう暗いから帰らないと…」って感じで声を掛けてきた。おじさんの笑顔に安心感を抱いた私は、友達より先におじさんに近づいていき、笑顔を見せた。

遊んでいたテニスの事や、友達と仲良しなんだね…みたいなたわいのない話をした後で「でも、もう暗いから帰るんだよ」「おじさんと一緒に帰ろう!」と言われた瞬間、私は手首をガシッと掴まれてしまった。

私より先に友達が驚いて「キャー!!」と声を出し後ずさったけど、逃げずにその場にいてくれたのを覚えている。

私は恐怖に怯えながらも必死で抵抗し、どうやったかは覚えていないけど何とか手を振り切ることができた。

でも豹変したおじさんは、置き土産のように私の頭をゴツンと拳で殴って去っていきました。

ほんの一瞬の出来事だったが、今思うと逃げずに声を出し続けてくれた友達のおかげ。小さな体で精一杯の抵抗をできたのも、悪魔のおじさんが足早に去ったのも…。

その後ほとんど会話もせずに、それぞれの家に帰っていきました。

母には、怖いおじさんに声をかけられたこと、頭を殴られたことを話したと思うけど、実はあまり心配してもらえませんでした。

私の話し方が悪かったのか、夕食の支度で手が離せなかったのか?とにかくお料理の手を止めることはなかったなぁ…。という記憶だけど母を責めている訳では無い。

だって、私の母親だけ危機意識が低かった訳でも、子どもが可愛くなかった訳でもないから。そんな時代だった?と言われればあまりそんな危機感は感じていなかったかも知れない。

今はどこの小学校でも保育園でも『不審者』の避難訓練は行っているけど、あの頃はまだそんな訓練は無かったし、特に子どもは想像もしていなければ、外で真っ黒になって遊ぶのは当たり前だった時代。(私だけ?)

もう何十年も前の話。多少記憶が間違っているところはあるのかもしれないけれど…。

でも実際は、行方不明になる子どもや、通り魔的に危害を与えられる事件はあったよね。大人の拉致問題も既にあったんだよね。

私の時は運が良かったから今でも言えるんだよね。

そしてちなみに、その後の私は暗くなったら帰るようになったけど、トラウマにはなっていなかったようで、毎日外遊びに明け暮れた。

今、まだ親の羽の下で怖い経験なんてしたこともない幼い娘と、親から少しづつ距離を取り始めた娘を育てているけど、親として絶対にこんな事からは守らなければならない。

その反面、ひとりの人として親の巣から行動範囲を広げていく子を応援したい気持ち。どうやって伝え、どのような方法で守り本当の巣立ちの日を迎えていくのかな。

この世界がもっと穏やかで、人に優しい世の中になることを祈らざるを得ない。

わが子だけでなく日本中、いや世界中の子どもたちが安心して今を生き、好奇心を満たす活動を満喫し、その子の輝けるものを磨いて巣立ち羽ばたける!そんな世の中に私がしてあげたい。

人生の先輩として、そんな子ども達のお手伝いができるといいな。と心から思っている。




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