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誤解する/されることが愛おしく思えるような話

「すべての人間関係は誤解から始まるし始まった後も常に誤解を内包しながら手探りであーだこーだと一緒にやっていくわけですよね。

つまり誤解を恐れる必要はないというか、誤解は付き合いの中の許容部分というか、例えば相手の顔貌を好みになるようにこっちで自由に操作しない(しようとも考えない)ように、ある種身にまとっている性質なんじゃないかと。

そしてそれはその関係性(二人なら二人)の中でしか生まれない唯一無二の価値観なわけで、他の人に対しては同じ誤解というのはまず生まれない。なぜなら誤解というのは個人による解釈のすれ違いだから。

と考えると、誤解する/されることすらも何となく愛おしく思えませんかね。

だって、誤解が判明する時って常に二人が理解しあえた時だから」

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