最近の記事

  • 固定された記事

何者かになりたくて仕方なかった自分がなれたもの

ずっと何者かになりたかった。何者かにならないといけないと思っていた。 それで焦って、苦しかった。 色んなことに手を出してみては、本当にそれをやりたくてやっている人達には敵わず、次々に使えない武器を増やしていくようだった。 そんな僕が、今のところでなれたと思えたものについての話。 *** cotreeという会社のコーチングサービスを受けた。 そのコーチングはアセスメントコーチングといって、事前に受けた性格分析テストの結果を元に、自分の特性を理解していくという内容のも

    • おいしいカヌレの作り方

      はじめにお断りです。 ①カヌレの作り方は書いていません ②事実とは異なる内容にしていますが、自死についての表現があります。苦手な方はお控えください。 *** LINEで家族のグループを作った。メンバーは僕と妻、両親と兄夫婦。 グループへの投稿は主に、僕らと兄夫婦はそれぞれの子供の写真など、両親は出かけた先の景色や食べ物、いつの間にか半分飼っている状態になっていた野良猫の写真など、だ。 今は、前回帰省した時に、兄が突然持参した手作りのめちゃくちゃおいしいカヌレのレシピが

      • ピンクの空の散歩道

        朝から晩まで1日中、仕事と家事と育児がシームレスにやってきて、気持ちは少しささくれ立っていた。 今思えば午後の打ち合わせでは、イライラして口調が少し荒かったかもしれないなと反省する。 定時を少し過ぎたくらいにパソコンを閉じると、そのまま長男を誘って散歩に出る。 電車を見に行こうと言うとまず間違いなく付いて来てくれる。 僕から言わせると、寝るまでに少しでも疲れさせ、妻を料理に集中させるための散歩だ。 坂を登った踏切まで行って、電車を3本見送ったら戻ってくる。そのために

        • 2歳長男のアサーティブ

          昨年末に次男が誕生して、長男はめでたく兄になった。 僕も兄がいて、兄弟というもののどうしようもない難しさを経験している身なので、2人の間柄には心配も関心もあった。 2歳の長男はしっかりと赤ちゃん返りをしていて、次男が生まれるまでは1日に30回くらいだった「まま、あっこ(抱っこ)!」が今は1日に1万回くらいになっている。 それはもちろん次男に今まで一身に受けていた注目を取られることによるものなので、母親を求める一方で、きっと次男に対して何かしらの曇った感情を持つのではない

        • 固定された記事

        何者かになりたくて仕方なかった自分がなれたもの

          心理職を目指したけどやっぱり辞めた話

          2018年の4月、僕は大学に編入学した。専攻は心理学で、始まったばかりの心理職の国家資格「公認心理師」の要件を満たすカリキュラムだ。 数年前、僕は体調を崩してしまい、少しの間仕事を休んだ経験がある。 なぜそんな事になったのか?という純粋な疑問に対する答えを探して、またその最中に感じた会社や医療機関の不思議な対応、そして同じような人が周りに多発していてそれを何とかしたいと思い、心理学を学んでみたいと思った。 色々と聞いていると、心理職も民間のカウンセラーもコーチも、そうい

          心理職を目指したけどやっぱり辞めた話

          当たり前がひっくり返る

          昨年末に第二子となる次男が産まれた。 妻の入院から退院までは僕と2歳の長男で、そこから年始までは妻も含めて妻の実家にお世話になっていた。 妻の退院までは、初めて長男と僕だけで寝ることになった。 これまで寝かしつけはかなり苦労していて、妻が妊娠中というのもあり、僕がいる時は30分から長いと1時間近く近所を抱っこ紐で徘徊し、寝入ったら帰宅する、という方法を取っていた。 どうしても布団に下ろす時や途中で起きてしまった時に妻がいないとギャン泣きしてしまうので、完全に僕だけで寝

          当たり前がひっくり返る

          新年の目標はしんどいのでテーマを考えてみる 〜自己効力感と自己肯定感〜

          あけましておめでとうございます。 新年ということで今年の目標を考える人も多いのかもしれない。 僕もこれまで何度か旧年を振り返って新年の目標を立てたりしてきたし、やっぱり節目に決めたことはそれなりに自分の中に残りやすいので良いよな、と思って今でもやるにはやっている。 けどこれまで、目標って何かしんどいよな、と思ったりすることもあった。 じゃあどうしたら良いかな?みたいなことについて考えてきたことを書いてみたい。 去年こんな記事に出会った。 個人的に自己◯◯感シリーズ

          新年の目標はしんどいのでテーマを考えてみる 〜自己効力感と自己肯定感〜

          誰かになりたいと思わなくなった

          最近、研修やら勉強会やら色んな機会で自分について話すことが多くて、そういうのは本来はあまり得意ではないのだけれど、こうも続くとさすがに少しは慣れてくる。 ある勉強会で、一対一で相手と決められたテーマで自分のことを話すワークがあって、話をしたらまた別の相手と別のテーマを話すというような内容だった。 まあまあの人数とやるので後半はどんなテーマが来てもそれとなく流れやオチを作って話すことができるようになっていて、慣れるもんだなと思ってやっていたのだけど、かなりの数のテーマの中で

          誰かになりたいと思わなくなった

          CHIKUTSU 〜青春の痛み〜

          息子が一歳半の時に初めてちゃんと話した言葉は「ちんちん」だ。 いくら後に彼が嫌がったとしても、これはもう事実なので変えようがない。 先日、そんな彼が、お風呂場で僕のそれと自分のそれを交互に指差して「おなじ〜」なんて笑って言うものだから、大人な僕は少しムキになって「同じじゃねえよ!」と言った話を妻にしたら「そうゆうこともちゃんと話さないと行けない日がくるよねえ」なんてちょっと真面目な話題になって面食らった。 今はネットがあるし、学校での性教育も充実しているのだと思う。

          CHIKUTSU 〜青春の痛み〜

          子供の似顔絵

          2歳になったばかりの息子が、一生懸命に紙切れにボールペンで何かを書き付けていて、しばらくすると出来上がったのか、僕にそれを渡してきた。 「パパ!パパ!」 どうやら僕を描いてくれたということらしい。そこには青いボールペンで、まあ正直、陰毛のような線がたくさん書かれてあった。 僕はそれを受け取ると「ありがとう」と彼の頭を撫でながら笑って言った。 *** あれは僕が幼稚園の頃のこと。(どうしてそんなに昔のことを覚えているのだろう。鮮明に思い出せる。) 母の日が近いという

          子供の似顔絵

          すべり台をすべりましてというメモ

          先日、息子が初めて1人ですべり台をすべることが出来た。 これまで全力で拒否していたすべり台を、急に自分からやりたいと言い出して、すんなりとすべり落ちて見せた。そして無限すべり台が始まった。 実は、まあそのうち、と思いながらもどこかで諦めていたふしがある。 だって自分の子だからなあ、と。 思い出されるのは自分の子供の頃。 小学生くらいまで、僕らは市役所の駐車場でよく遊んでいて、中央には一段高くなった広い庭のような空間があって、そこでかくれんぼや鬼ごっこをして遊んでいた

          すべり台をすべりましてというメモ

          弱さに温度を感じるとき

          職場にあまり好きではない人がいる。 その人は社会人としては10年近く先輩にあたる人で、仕事を進める上でお世話になることもある。人当たりが良くおしゃべりで、仕事も出来る人だ。 その人は今年昇格のための試験を受けていて、普段の業務の傍でその準備(発表する事業プランの策定や面接対策)で忙しそうにしている。 作成した資料を見てみてくれと頼まれたり、冗談で代わりにやってくれなんて言われながら、でも僕はどこかでその人に昇格しないで(試験に落ちて)欲しいなと思っていた。 その人は仕

          弱さに温度を感じるとき

          昔行ったレストランにしよう

          古めの会社で働いているせいか、会社のおじさん達の謎のマウントの取り合いを目にすることがある。 それは僕が「家族不幸マウント」と勝手に呼んでいるやつで、どっちが家族に嫌われているとか、家にいない時間がどれだけ多いかみたいなやつだ。 タチが悪いと「働く男の当たり前の姿」として周囲にもなんとなくそれを求めてくることだってある。 僕はもう本当にどうでも良いと思っているので、正直「うるせーな」と思って聞いているのだけど、ふと自分を振り返ってなんだか危険な予感がしてしまったのだ。

          昔行ったレストランにしよう

          例えば僕は、歌うようにnoteを

          前に祖母のことを書いたら思い出したのだが、そういえば祖母は短歌を詠むのが好きな人だった。普段からノートに書き溜めていて、時たま新聞のコンテストのようなものにも投稿していた。 祖母はいつも入賞するともらえるテレフォンカードをくれるので、僕はそれが嬉しくて祖母が新しく短歌をつくるのを心待ちにしていた記憶がある。 そんな感じなので、肝心な短歌の内容はほとんど覚えていなくて、祖母を思い出したついでに祖母が詠んだ短歌を見てみたいと父親に連絡してみた。 当時、祖母が熱心に投稿するも

          例えば僕は、歌うようにnoteを

          こころはまるい方がいい〜レッテルを貼ること〜

          心やそれによって形成される人格や性格は、もし目に見えるよう形に例えられるならば、きっと丸い方がいいなと思っている。 そんなことを思うようになったのはこの本を読んでからだ。 すごく簡単に言うと、人には唯一本当のその人(個人)なんてものはなくて、実際には色んな部分(分人)の集まりで出来ている、という考え方だ。 だから本当の自分とは?みたいなことに悩まなくても良くて、どの自分も自分で、それが良いと思えたり思えなかったりするよねということ。 すると例えば、誰かといる時の自分が

          こころはまるい方がいい〜レッテルを貼ること〜

          僕たちと、あなたたちのおばあちゃんの話

          「助けること」や「感謝すること」、そんなことについて考えるとき、僕はいつも祖母のことを思い出す。 僕の両親は共働きだったから、よく家の隣に住む父方の祖父母に預けられていた。祖父も仕事をしていたので、祖母といる時間が多かったように思う。 祖母は、慈悲の人だった。 いつもどこか誰かの、それがたとえそれがどんなに遠くても、その人の苦しみを思って、自分のことのように苦しみ、そして時に涙していた。 覚えているのは、ソマリアの難民の子供達のことを言うときのことだ。 「ソマリアの

          僕たちと、あなたたちのおばあちゃんの話