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IQ162でMENSA会員の自分がどんなときに他者との違いを感じるか、そして困るか

こんにちは。

IQ162。高IQ集団MENSAにも所属している、おてつです。


先日、「IQが高いとどんなことで得する? 苦労する?」と聞かれたので、これを機会に「そもそもどんなときに他者と違う(と感じる)のか」「その結果、どんなことに困るのか」ということを整理してみました。


なお当たり前ですが、高IQといっても色々なタイプの方がおり、それぞれの方が感じること、直面している問題は様々です。
今回お話するのは「自分の場合はこう」だという話であって、皆に共通する話ではなので、あくまで参考程度にご覧ください。


1. スピードの違い

たとえばこんなとき「他の人と比べて自分はスピードが速いな」と感じます。

・本を読むのが速い →マンガは5~15分、活字の本は15分~数時間くらいで一冊読む(月にマンガを200~300冊、活字の本を10冊くらい読む)
・テスト等で解くのが速い →60分の試験が15~30分程度で解き終わる
・「とにかく頭の回転が速くて、ババババって話が進む」と言われる
・1年程度の経験で、20年~30年経験を積んだ人より理解が深くなる


以上は「スピード」という表現でひとくくりにしてしまいがちなのですが、もう少し細かく考えると、以下の3つの要素に分解できると思っています。


1-1. スピードそのもの

本当に単純なスピード。事務処理の速さ。
1桁+1桁のような単純な計算のスピード。100mを10秒で走れるか15秒かかるか、みたいな違いです。

でもこれは意外と他人とそう大きな差はなかったりします。
私に限らず、「速い」と言われる天才的な人でも、普通の人と比べてそれほど大きな差はないように感じます。
平均的な人のせいぜい150~300%くらいでしょう。

上で例を挙げた、本を読むスピードやテストを解くスピードなんかはほとんどこれだけで決まります。実際、数倍程度しか差がついてないですよね?


この「スピードそのものが速い」ということで困ることはほとんどないです。

学校に通っているうちは「スピード」というよりテストの点数(=知識や正確性の要素)で測られることが多いので、嫉妬を買うことすら少ないです。

社会人になると、仕事のスピードが速い人というのは単純に重宝がられるので、得になることがほとんどです。
他人から見て、ただ「すごい」「助かる」と思われるだけです。


1-2. 理解と応用の速さ

例えば「A⇒B」という情報を与えられたときに、納得し理解し、その概念を実際に使うようになるまでの速さ。
「へー! A⇒Bなんだ。確かB⇒Cだったから、A⇒Cってことだね!」と言えるまでの速さに違いが出ます。

「A⇒B」という情報を与えられたとき、それをきちんと使えるようになるまでの時間は、かなり個人差があり、「1-1. スピード」とは桁違いな差が生まれることがあります。
大半の人が1年かけても無理なものが、自分にとってはほんの数秒ということも少なくありません。


上で挙げた事例の「頭の回転が速い」などは、「1-1. スピード」と「1-2. 理解と応用の速さ」がかけ合わさったものです。

「こう言えるよね。ってことはこれがこうだね。だからこういう考え方ができて、その次はこれをやればいよね」
という感じで、新しい情報が出てきたときに、それをすぐ理解して応用し、また新しい概念を生み、その概念を使ってまた問題を解決して‥‥ということが矢継ぎ早に行われます。


このため、「相手がすでに高みにいて、自分がこれから追いつくとき(相手から新しい話を聞くときなど)」はいいのですが、「相手と自分のスタートラインがさして変わらないとき(相手と一緒に議論を進めるとき)」は問題が起こりがちです。

自分のスピードに合わせると相手を置いてけぼりにしがちなので、たとえ相手が洗練されたプロであっても、相手の理解の程度を確認しながら慎重に議論を進める必要があります。


1-3. 的確さ

そもそも目的に対して的を射て考えることができるかどうか、によってもスピードに大きな差が生まれます。

上に挙げた事例の「1年程度の経験で、20年~30年経験を積んだ人より理解が深くなる」というのがこれ。
「1-1. スピード」「1-2. 理解と応用の速さ」「1-3. 的確さ」のすべてがかけ合わさり、差が生まれるパターンです。


この要素は「スピード」の要素と言っていいものか微妙なので、一旦切り分けて、次の項であらためて説明します。


2. 的確さの違い

他人の行動や選択を見たとき「それはどう考えても不正解では?」としか思えないことがわりとあります。


もちろん大前提として、人によってやりたいこと、目的は違います。

だから目的の違いによってやることが変わるのは当然。
人それぞれ違う行動をとること自体はおかしくありません。


今日ラーメンを食べたいのかカレーを食べたいのかは、好みの問題です。
どちらを食べてもおかしくない。

でもラーメンを食べたいのにカレールーを買ってきたらおかしいですよね。

他人のやっていることがそんなふうに見えることがよくあるんです。


迷路があって、A,B,Cの3つの出口につながっている。
A,B,Cどこから出たいか決めて、その出口に向かって進んでいけばいいだけの話。

なのに普通の人は、Aから出たいと決めたのにBの出口に向かっていっちゃったり、行き止まりに向かって歩いてっちゃったりする。

こういう感じです。


もちろん自分も全く間違わないわけではないです。失敗することはいくらでもあります。

でも自分にとって、多くの人の行動は、どう見ても行き止まりにしか見えない、あるいは間違った出口に向かっているようにしか見えない。
無意味なことにものすごく時間をかけているように見える。

でも自分は少なくとも、自分の目から見て行き止まりには向かわない。違う出口には向かわない。

その結果、最終的な「スピード」に大きな差がつくことがほとんどです。


実はこの「的確さの違い」こそが他人と議論するとき最もトラブルが起きやすい要素だと思っています。

他人のアイデアがことごとく「そんな手はないでしょ?」と思えてしまうので、他人と目線をあわせるには、どうしてそのアイデアがダメなのか、正解は何なのか丹念に話をし理解を得る必要があるからです。

また、誤解を恐れずいえば、最も「他人が愚かに見える」要素でもあります。1.のようにただスピードが違うだけなら歩調を合わせればいいだけでたいして苦労も疎外感も感じません。慣れたものです。
でも他人が明後日の方向を向いているかのように見えるのは、正直つらいものがあります。私もいまだに慣れません。他人との共同作業でこういうことが発生するとどうしても(心の中で)ため息がでます。孤独です。

自分なら0秒で分かることについて、じっくり時間をかけて話をしなければならない。いくら話をしても理解してもらえないことも少なくない。
これはとてもストレスのかかることです。


3. 見える情報の違い

普通の人にとっては「分かるわけのないもの」が、「普通に見えるもの」であることがあります。

例えば

・一定以上の長さの文章を読めばその人(その分野における知識のレベル、理解のレベル、価値観、思考の仕方など)が見える
・マンガ/文章/絵などにこもっている怨念(のようなその著者の強い想い)が見える
・誤字脱字があると強調されて見える
・動き方や足音で国籍/性格/スポーツ経験の有無と内容などが分かる
・歩くときの視野が半径数十m程度ある(普通は数十cm〜数m程度)
・車の運転をしていると数百m先〜数km先まで車と信号の動きが見える(普通は数十m程度)
・歩いている人や車を運転している人の視野(その人がどこまで認識し意識しているか)が見える
・その人の頭の中に今どれだけの情報が流れ、どれだけ頭が回転しているか見える


イメージ図:

見えるもの2

普通の人「四角い?」
自分「サイコロでしょ」


これは最もパワフルな要素であるとともに、最も他人から理解されない要素です。
他人に言っても「ウソをついている」「頭がおかしい」と思われることがほとんどなので、私も基本的に妻以外には明かしません。


頭に入ってくる情報そのものが違う、世界の見え方が違うので、他人と目線を合わせるのはまず不可能です。
ただ逆にいうと、諦めがつくので他人とトラブルにはなりにくいです。

また、結論だけならば他人と目線を合わせることも可能です。
自分には答えが見えているので、その答えにたどり着く手がかりとなる情報を後付でかき集め、それを提示することで他人に理解してもらう、というやり方です。


ちなみにこれらの能力自体は、別に超常的なものではなく、おそらくワーキングメモリ(頭の中に一度にとどめておける情報量)が大きいために、膨大な情報を組み合わせることで実現されているだけではないかと思っています。

普通の人も、食べ物を食べたらこれが麻婆豆腐の味だとか餃子の味だとか分かりますよね。それは「これこれこういう味だから」と理屈で理解するものではなく、ただもう「分かる」だけのはずです。
別に舌に触れた元素ひとつひとつを理解しているわけではなく、味や匂いの膨大な情報が与えられているだけなのに、ただ「これは麻婆豆腐だ」と分かりますよね。

私の場合はそれが文章やマンガや人の視野や頭の中を理解するときにも似たようなことができる。
ただ、それができるためには、おそらく普通より多くの情報が処理できる前提が必要。その前提を満たした上で、一定以上の経験を積むとそれが可能になる。

それだけだと思います。


まとめ

自分がどんなときに他者と違うと感じるのか、そしてそれによってどう困るのか、書きました。

1. スピードの違い
1-1. スピードそのもの

事務処理的なスピード。他人と差がついてもほとんど困りません。

1-2. 理解と応用の速さ
かなりのスピード差がついてしまうので、気を使って相手と目線をあわせる必要があります。

2. 的確さの違い
普通の人が理解するには苦労する、あるいは頑張っても理解できないものが、すぐに理解でき応用できます。これにより一層のスピード差が生まれます。このため非常にパワフルな一方でトラブルにもなりやすいです。

3. 見える情報の違い
最高にパワフルですが、他人には理解してもらえません。ただし、後付で手がかりを見つけ、同意を得ることは可能です。


どれについても言えることですが、得することと苦労することは表裏一体です。
他者と違えば違うほどそれは優位性として働くし、逆に違えば違うほど目線をあわせることが困難になり、苦労することになるからです。


繰り返しますが、今回お話したのはあくまで私個人のお話。
高IQの方はみんなこう、というわけでは決してないので、参考程度にとどめて頂ければ幸いです。


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