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プリ小説ボイスドラマ『透明なフィルムの向こう側で息をする』レビュー:タイムカプセルに入れたい「今」を生きよう

黒川雛子は恋愛することもなく部活に打ち込むこともなく、ただ大学の指定校推薦枠を取るために真面目に過ごしている『優等生』。雛子が通う高校には、『高三の文化祭で十年後の自分に向けてタイムカプセルを埋める』という伝統行事がある。ある日、担任の加賀美に頼まれ、十年前の卒業生・末吉拓海に彼が埋めたタイムカプセルを届けることになった雛子だったが、なぜか受取を拒否されて……?タイムカプセルがつなぐ、せつなくも愛おしいラブストーリー。

<<登場人物/キャスト>>
黒川雛子 / 莉子 末吉拓海 / 古川雄輝
加賀美先生 / 山本涼介
日生椿 / 吉田伶香

Spotifyより)

「今」の欠落

タイムカプセルを埋めるというのは、なかなか酷な儀式だ。
「映え」が評価される時代、SNSでは他人の目を意識して「盛る」ことなんていくらでもできる。でも、自分だけが見せる対象だとしたら?10年後の自分に見せたい「今」はあるだろうか。
タイムカプセルはそんな疑問を突き付けて来る。

雛子は大学の推薦を取るために先生への点数稼ぎをし、かつ周りから浮かぬよう日々を送っている。
将来のために今を犠牲にしている雛子。けれどそうして手に入れた未来で何がしたいのかは見えて来ない。大学生になっても、その先を考えて失点をしないように過ごして行くのではないかという気すらする。
「今」を生きていない雛子には、タイムカプセルに入れるべき「今」もない。

そんな雛子の前に現れたのが、10年前に埋めたタイムカプセルの受け取りを拒否する男・拓海だ。
タイムカプセルの中にしまわれているのは、高校時代に自分の目の前で事故に遭い亡くなった恋人・椿と撮影した写真たち。彼女の死を未だに受け入れられないでいる拓海もまた、「今」を生きてはいない。
雛子と拓海は同じ欠落を抱えた者同士なのである。

透明なフィルムを越える想い

同じといっても雛子と拓海の間には大きな違いが。拓海にはたとえ過去であったとしても、タイムカプセルに入れたいと思えるキラキラした日々がある。それは雛子が体験したことがないものだ。なのに彼はそこから目を背けている。
写真のフィルムの向こう側にあるのは、拓海にとっては手を伸ばせない記憶で、雛子には手が届かない憧れで。
二人が「今」を生きるには、意識という目に見えない障壁が存在する。

タイムカプセルというのは、10年後に効力を発するいわば時限爆弾だ。
止まった時計の針を進めるのは拓海が、そして椿が埋めたタイムカプセル。拓海は青春時代のすべてだった椿との思い出を忘れないために写真を入れ、椿は未来の拓海に送るメッセージを入れた。
10年を経て、開けられるべき時に開けられず行き場を失くした想いは、椿の幻となって雛子の前に姿を現す。
拓海にタイムカプセルを手渡す役割を雛子が託されたのは偶然に過ぎない。しかし透明なフィルムのあちら側とこちら側に隔てられて、フィルムに閉じ込める「今」を持たない二人がタイムカプセルをきっかけに出会ったのは必然のようにも思える。
椿はもしかして、自分の幻を見せる相手として、拓海と似た空虚を持つ雛子を選んだのかもしれない。椿と同じ2月生まれの彼女を。

青春は面倒で、くだらなくて、やっかいだ

拓海に「会いたい」という椿の想いに触れ、自分がそれを果たさなければと使命感に駆られる雛子。
タイムカプセルの中の写真と同じシーンと拓海と雛子で再現し、それを写真に収める。それで思い出を上書きしようなんて、雛子の提案はちょっと唐突で、意味があるのかすら怪しい。それはもう優等生としての点数稼ぎをとうに超えている。
やらなくてもいいことにどうしようもなく走り出す。くだらないことに心が躍る。今やっていることがいつか役に立つかなんて、どうでもよくなってしまう。何の得にもならないのに、誰かの人生に首を突っ込むなんて無駄でしかないのだけれど、その衝動こそが青春で、恋なんだと思う。

放課後のクレープ、銅像磨き、真夜中のプール。思い出の上書きというミッションを忘れて「今」を楽しんでしまう雛子。拓海と過ごす時間は雛子にとって一つひとつが愛おしく、写真に焼き付けて残しておきたい瞬間になる。時折、椿の影がチラつくにしても。
それは雛子だけでなく、拓海にとっても一緒だ。

古川雄輝の声には空間と時間軸がある

物語に深みを持たせるのが、拓海を演じる古川雄輝の声だ。序盤で雛子にかける言葉の調子はいかにも軽薄で、でも過去を振り返る時の声は内省的で。心に傷を負いながら10年という年月を積み重ねての今なのだということが、説得力を持って伝わってくる。
軽やかさと、淡々と落ち着いた声と。拓海の感情は高低の差さえあれど一定している。しかし椿のメッセージを受け取った後の嗚咽は全然違って、これまで封印されていた拓海の想いが溢れ出すようで、ああ、彼は「今」を取り戻したのだなと、白黒の世界が色付くような感覚を覚える。

まっすぐで、若さがあって、過去を感じさせない雛子の声は現在地点を表しているようだ。そこに拓海の声は時間や空間という座標を与える。
現在と過去はもちろん、古民家から出てくる感じとか、不意な距離の近付き方とか…拓海の声は音だけで紡がれる作品を三次元のものとして感じることができる、重要なファクターだ。

閉じ込められない想い

タイムカプセルをキーに進む物語のラスト、取り違えたタイムカプセルを通じて雛子の想いが拓海に伝わるという仕掛けは素敵だ。懐かしい青春の思い出に変わるのは雛子の恋心ではなくて、拓海と椿が過ごした日々のほう。
雛子と拓海の恋は現在進行形で、もう思い出の上書きをしなくていい。10年後にタイムカプセルを開ける時、2人にどれだけの幸せな記録が残っているのだろう。
いつだって、タイムカプセルに閉じ込めたい「今」を重ねていきたい。


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