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旧エベレスト旅行記#03 Sete

 この旧エベレスト旅行記はネパールの旧道を歩いた当時の日記を、ほとんど原文のまま書き出し、内容の理解のために不十分と判断した箇所に加筆をしている。
 コロナ禍に感じた焦燥と安堵、期待と落胆は、コロナ禍以前にネパールの旧道で感じたことそのものだった。当時の日記からその理由を思い返す。

9月25日 Shivalaya-Sete

 疲労感がかなりある。だがトレッキング1日目としては極めて順調だった。
 6時半に宿を出発し、30分程歩くとトラクターに乗った男に話しかけられた。ルクラまでは最速で行きたいと考えていた私は乗せてもらえないかと頼んだ。
 男は昨日の運転手よりも若く、優しそうな雰囲気ですぐに了承してくれた。ご飯は食べたのか、お尻は痛くないかといったように気にかけてくれ、途中朝食休憩をとってくれた。男の目的地であるバンダーラに着いたのは午前11時ごろで、そこで降ろしてもらった。

乗せてもらった自動車。トラクター?
雨季のため道が悪い。1時間以上足止めを食らった。

 少し遡って今朝、シバラヤの宿を出発し町を出ようとすると、出店のような簡易的な建物の中で2人の男がじっとこちらを見ていた。そのまま通ろうとすると呼び止められ、ここから先に行くにはお金を払わなければならないと言う。
 不審に思ったが男たちの格好、仕草からは公的な仕事であるように思われ、何より記入を求められた書類には「National Trust for Nature Conservation」と記されていた。これは自然環境を保全するために土地を買い取るという、日本でいうところのナショナルトラスト運動である。
 しかし現金には限りがあり、この先には銀行もなければ、クレジットカードも使えない道が続くはずだ。現金を使うことに少し躊躇ったが仕方がないので、3000ルピー支払い入場許可証を作ってもらった。

 こんな出来事があって私は、バンダーラまで約3時間を共にした男にチップを払うのを惜しんで別れてしまったことを少し後悔していた。
 男はそんなものを要求する素振りもなかったが、なぜ優しさに対して何も返さずに行ってしまったのか。次の村キンジャに向かう足取りは重たかった。お金でなくとも何らかの形で恩を返す事はできなかっただろうか。そんなことを考えていたら、次に通ったトラクターに話しかけることができなかった。乗ることができればさらに先に進めるのに…。
 多くの人は真に善人にも悪人にもなれないというのを聞いたことがあるが、善意に応えることも、目的のために余計な感情を排除することもできない自分のつまらなさと、乗せてくれた男のことを考えていると気持ちは落ち込んでいった。

 キンジャからは全く車両が通れない道になった。短時間で1000m以上標高が上がる辛い山道には、村と村の間で荷物を運ぶ人が行き交っている。彼らはそれを生業にしているようだ。何度も道ですれ違う彼らにセテはどこか尋ねながら、わかりにくい山道を進んだ。

 次々と流れていく風景は本当に素晴らしかった。棚田やどこまでも続く山々、色々な動物。そして自分がこれまで歩いてきた道、これから登る山を見ると力が湧いた。ただ9月のネパールは雨季である。私はまだ一度も太陽を見ていない。

美しい谷川の風景

 16時ごろセテに到着し、今晩は「SUN SHINE LODGE」に決めた。宿にはwi-fi も無ければ、電気も食堂しか通っていないので、部屋ではヘッドランプを付けた。明日の予定が立てにくいがこれも醍醐味だと思えば何ともない。     
 それよりもヒルに背中が噛まれてしまい、白いTシャツが真っ赤に染まってしまった。ヒルは無理にとると頭部だけ体に残ってしまうことがあるため、火で炙って取るのがいいが、背中では上手くできない。仕方なく慎重に手で取った。

この先何度も食べることになるイモ炒め。
ダルバートより安い。


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