旧エベレスト旅行記#01 Katmandu
この旧エベレスト旅行記はネパールの旧道を歩いた当時の日記を、ほとんど原文のまま書き出し、内容の理解のために不十分と判断した箇所に加筆をしている。
コロナ禍に感じた焦燥と安堵、期待と落胆は、コロナ禍以前にネパールの旧道で感じたことそのものだった。当時の日記からその理由を思い返す。
9月21日(土) Narita
旅行前夜、今夜は成田空港の国際線第2ターミナルで宿泊予定だ。今朝オーバーグローブとモバイルバッテリーを購入して日本ですべき全ての準備が整った。思いがけずGo Pro(アクションカメラ)を友人にプレゼントしてもらったのでたくさん動画を撮って、自分が見たかった景色を見せてあげたいと思う。
現在の所持金は日本円で10万円のみ、それとクレジットカード。中国を経由していくが、なるべく両替せずに済むようにしたい。水とお菓子、おにぎりを買っておいた。
9月22日 Beijing
予定通り北京に到着し、成都行きの飛行機を待ちながら日記を記入。現在20:30で、北京発が22:45、成都着が2:15の予定だ。預け荷物は一度成都で受け取り、再び預けなければいけないそうだが、ビザはなくても大丈夫だろうか。
海外に行くのは1年前のアイスランド以来だ。その時は二人だったので、一人旅はインド以来になる。1人で過ごす時間が本当に久しぶりな気がする。あの時はゴーラクプルに長期滞在していて、異国の喧騒の中でどうしようもない孤独を感じたのをよく覚えている。あれから自分はどう変わっただろうか。
結局、中国国内の乗り換えはスムーズで、簡単な検査があるだけだった。
北京首都国際空港での乗り換え
9月23日 Katmandu
深夜2時成都に到着し、今朝8時の便でカトマンズへ向かった。9:10着の予定なのですぐに着くと思っていたが、時差のことを忘れていた。これが時差ボケである。ネパールと日本の時差は3h15mだ。
ネパールの首都・カトマンズに着くと、ビザを取得、荷物を受け取ったあと空港を出た。小さな空港の出口にトレッキングの受付のような場所があったので話を聞いていると、後ろから「日本人ですか?」と話しかけられた。
50代ぐらいの男で、トレッキングに来たと言う。安宿が集まるタメルまでタクシーを相乗りした。男はホテルを取っているらしいが、私は決めていなかったので安く泊まれるところを探すことにした。夕食を一緒にとる約束をし、一度解散した。
カトマンズの空港ビザカウンター
今日のうちに済ませたいことが、両替、ルクラへの行き方を決めること、TIMSの取得だ。
まず高レートの両替所を探していると、また「日本人ですか?」と話しかけられた。今度はネパール人だった。あまりに流暢な日本語で驚いたが、日本語学校の教師をしていて、日本にも3年いたと言うので納得した。
キョロキョロしていたので困っていると思ったようで、正直に話すとガールフレンドらしき人のスマホを借りて色々なところに電話をかけ始めた。どうやら両替所を探してくれているようだ。果たして日本でここまでしてくれる人がいるだろうか。久しぶりに感じる優しさに嬉しくなった。
銀行のようなところに行き、手続きも彼がやってくれた。銀行のレートはそれほど良くないのではという懸念があったが、優しくしてくれた人の気持ちを無碍にはできない。そう思っていたが今まで見たどの両替所よりも高レートだった。礼を言い、少し話していると明日日本語学校があるから来ないかと誘われた。男はもしその気があるなら明日の朝同じ場所に来てくれと言い、その場を離れていった。
両替は上手くいったが、TIMSはダメだった。トレッキングの行程を細かく書くように指示されるのだが、リサーチ不足で書けなかった。誤魔化して書こうとするがインターネットが繋がらない場所だったので、調べて誤魔化して書くこともできなかった。宿に帰ればwi-fiはあるが、ルクラに行ってからでも申請の類は問題ないだろうと思い、何もせずに宿に帰った。
宿に着いてベッドに腰掛けると、待ち合わせ場所である男のいるホテルの名前を忘れてしまっていることに気づいた。地図を見ても思い出せそうもないので、諦めて外を歩くことにした。
髪が伸びていたので、濁った水が霧吹きに溜まった床屋で髪を切ってもらい、中華料理店で牛肉麺を食ったところでその男に偶然出会えた。どうやら飯はまだらしい。一緒に本場のダルバートを食べに行くことにした。2回目の夕食だがとても美味しかった。
レストランで食べるダルバート(カトマンズ)
男は元自衛隊だったらしく、55歳で退職してから1年間も旅を続けていて、やめられずにいるという。「お金がなくなっても何とかなるだろう」と、生命力に溢れ若々しい方だった。お互いに今日得た情報を交換し、その日は別れた。
夕食はご馳走になってしまった。
今後の予定についてだが、一般的にトレッキングの出発点となるルクラへは、カトマンズから更に飛行機で行った先にある。だが、生憎資金は十分でない。ルクラへは、富士山ぐらいの山を4つぐらい超えて、1週間も歩けば着くそうなので歩いていくことにする。山道がどうなっているかはわからないが、昔からその道は現地の人の生活道になっているらしい。小さい集落が所々にあるようなので、食料や燃料を1週間分持っていく必要もない。
というより、この道を歩くことは今回の目的の一つでもあるのだ。そこにいる人がカトマンズのような都会での生活ではなく、便利とは言えない山間部で暮らし続けることを選んだのは何故なのか、また100年近く変わらない暮らしとはどのようなものなのか、それが知りたかった。ジリというところまでバスで行けるらしく、そこでシバラヤ行きに乗り換え、そこから先は車が通れないので歩いて行く予定だ。
今日、カトマンズの大きなバス発着所であるオールドバスパークに行くと、ジリへは明日6時発のバスがあるらしいが、出発するかはわからないとのことだった。ともかく明日の朝向かってみることにする。
もし、明日バスに乗ることができなければ日本語学校に行って、夜はダルバートを食べに元自衛隊さんを誘おう。だが、バスが話に聞いた通りに走れば彼らとはお別れだ。もう一生会うことがないかもしれない。それでも、今は先を急ぎたい。
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