いじめ自殺の遺族に市教育長が「おまえ」と発言→共同通信は教育長が遺族父親の元担任であることを伝えず

 いじめを訴え自殺した新潟県新発田市の中学二年男子生徒宅を謝罪に訪れた市の教育長が、遺族に不適切な発言をしたとして辞職願を提出した。
 教育長が、自殺した生徒の父親に「(保護者説明会に)お前も来るか」と発言したことに父親が不快感を示していたという。教育長は父親の小学校時代の担任であったことから、こういった発言に至ったと説明している。

共同通信は「元担任」に触れず

 産経新聞、朝日新聞ともに、記事内で教育長と父親(遺族)が小学校時代の担任と生徒であることに触れている。無論、元担任と生徒の関係性があったとしても、遺族に対して「お前」という呼び方は言語道断であり辞職に値するのだが、共同通信の配信記事では担任と生徒という部分が記述されておらず、まるで争論の末に暴言があったような印象を与えてしまっている。

 共同通信は、加盟する新聞社などに記事を配信することに特化している側面もあり、このような簡素な記事が多いのは仕方のない事でもあるが、短い中でも重要な要素は盛り込んでいかないと、今回のようなセンセーショナルな部分だけが独り歩きする危険性をはらむ。

伝えるべきことは何か?古い常識は通用しない

 このニュースで伝えるべきポイントは何か?それは、教育長が暴言を吐き遺族を傷つけたということの他にもあるのではないだろうか。

 産経新聞や朝日新聞の記事を見て筆者が感じたことは、教育長の昔気質の教育者像である。もう何十年も前の生徒に対しても親近感をもって「お前」と呼ぶことが信頼関係だと思っている節がある。

 自分の実の子がいじめで自らの命を絶ち、その後に就任した教育長が元担任であったとしても、遺族がこの上ない不信感を抱くのは当然である。そう思うと元生徒(父親)にどんな顔で対面すればよいのか?どんな声をかけ謝罪すればいいのか?どう呼べばよいのか?

 こういう思いを抱いていれば、息子を亡くした父親を「お前」などと呼べないはずだ。それでも教育長は「お前」と呼んでしまう。そこに、古い教育現場の常識と現代社会に大きな隔たりが生じているとは考えられないだろうか。こういった間違った信頼関係の演出、教師と生徒の上下関係が、今回の問題に限らず追い詰められた子供には通用せず理解もされず、教育者の理想と子供の思いは果てしなく乖離していく。

 そういった意味で、今回の問題では教育長と父親が元担任と生徒であったという部分は非常に重要な要素である。その部分を加えず、ただセンセーショナルなタイトルだけが独り歩きするような内容で報じた共同通信の記事は、悪意のある釣り記事にしか見えない。

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