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競技かるたのための音声学 #1 音素と異音

昨晩、Twitterにて「競技かるたと音声学について雑談しましょう」と題したスペースを開催しました。このスペースを通して、音声学の知識って、意外と競技かるたをやっている人たちに関心を持たれているトピックなんだなということを感じました。

そこで、noteを利用して、競技かるたを音声学の視点から考えるための基礎知識について、何回かに渡ってまとめてみようと思います。気長にお付き合いいただければと思います。

【おことわり】
このシリーズは、私が(ほぼ)独学で学んだ言語学・音声学の知識について、私なりの理解をもとに説明しています。誤解が含まれている可能性もありますので、ご了承ください。


競技かるたを考えるキーワード「音素」って何?

音声学の重要な概念として、「音素」があります。これは競技かるたの音声について考える上でもキーワードになりそうなので、まずは「音素」が何かについてお話ししたいと思います。

突然ですが、次に挙げる単語を発音してみてください。

秋刀魚/sanma/ サンタ/santa/ 山河/sanga/

どの単語も、「さん/san/」という文字列が含まれていますね。この「ん/n/」というところ、実は全部違う発音になっているのですが、気付きましたか?

もう一度発音してみてください。「秋刀魚/sanma/」の「ん」を発音するときは、両唇が閉じているはずです。「サンタ/santa/」の「ん」を発音するときは、舌が歯茎の近くに当たっているはずです。「山河/sanga/」の「ん」を発音するときは、舌が喉の奥に当たっているはずです。

この違いは、「ん」の次にくる子音の種類によって生まれています。次の子音を発音しやすいように、無意識のうちに「ん」の発音の仕方を変えているのです。「秋刀魚/sanma/」の/m/は両唇を閉じて発音する子音なので、/n/も両唇を閉じて発音します。「サンタ/santa/」の/t/は歯茎の近くに舌を当てて発音する子音なので、/n/も歯茎の近くに舌を当てて発音します。「山河/sanga/」の/g/は舌を喉の奥に当てて発音する子音なので、/n/も舌を喉の奥に当てて発音します。

このように、これら3つの「ん」は発音の仕方が違っていて、よく聞くと音色も違っています。しかし、日本語を母語とする人は、これらの「ん」の違いを意識していません。言い換えれば、これらの「ん」をすべて同じ音として認識しているのです。

もう一度、さきほどの例を挙げて考えてみます。

秋刀魚/sanma/ サンタ/santa/ 山河/sanga/

これら3つの単語をローマ字で書いたとき、3つの単語の違いを生んでいるのは4文字目、/m,t,g/という3つの子音です。この/m,g,t/のように、ある言語において意味の違いを生み出す音の組み合わせを音素といいます。言い換えれば、日本語において/m,t,g/という3つの子音は「違う音」として認識されているということになります。

「音素」と「異音」

ここまで「音素」について説明したので、その対となる概念「異音」についても説明しておきます。先ほど、「秋刀魚」「サンタ」「山河」という3つの単語の「ん」がすべて違う音であるという話をしました。これを「音素」という概念を使って考えると、「秋刀魚」「サンタ」「山河」の「ん」は意味の違いを生んでいないので、同じ音素/N/であるといえます(以降、「ん」の音素を/N/と表記します)。つまり、同じ音素/N/でありながら、実際には違う音であるということです。このように、ある言語において同じ音素として認識されているが、実際には違う音として発音されている音のことを異音といいます。

異音にはさらに二種類の分類があります。条件異音自由異音です。条件異音とは、ある一定の条件にもとづいて現れる異音のことです。たとえば、さきほどの「秋刀魚」「サンタ」「山河」の「ん」は、何回読んでも、誰が読んでも同じように現れます。なぜなら、「ん」の次にくる音の種類によって決まっている、すなわち一定の条件にもとづいて現れているからです。したがって、「秋刀魚」「サンタ」「山河」の「ん」は条件異音であるといえます。

条件異音は、先ほどの例のように直後にくる音の種類によって起こる場合と、直前にくる音の種類によって起こる場合があります。直前にくる音によって条件付けられる例も考えておきましょう。次の単語を発音してみてください。

立川駅/tachikawaeki/ 国立駅/kunitachieki/

東京以外の場所にお住まいの方には馴染みがないかもしれませんが、どちらもJR中央線の駅の名前です。「立川駅」の「え」と「国立駅」の「え」を比べてみてください。「国立駅」の「え」の方が、舌の位置が前にありませんか? これは、直前の音/a/と/i/の違いによるものです。/a/と比べて/i/の方が舌を前に出して発音するので、その影響を受けて/e/も舌の位置が前になっているのです。

このように、条件異音とは、直前または直後にくる音の種類によって発音が変化する異音のことを言います。条件異音は、決まった条件のもとでしか現れず、違う条件の下では現れません。たとえば、「秋刀魚」というときの「ん」の音が「サンタ」というときに現れるということはあり得ません。これを「相補分布をなす」と言ったりします。

一方、自由異音というのは、こうした条件によらず、話者の個人差などによって発音が変わる異音のことを言います。ざっくりと言ってしまえば、話し方のクセに近い感覚でしょうか。

私たちが言語を認識する際、この音素という概念は非常に重要です。もし私たちに音声を音素として認識する能力がなかったら、無限に存在する異音をすべて違う音として認識することになります。Aさんの発音する「秋刀魚」とBさんの発音する「秋刀魚」が微妙に違っていた場合、2つの「秋刀魚」を同じ単語だと理解できない、なんてことにもなりかねません。

音素と異音が競技かるたで重要なワケ

音素と異音という2つの概念について、お分かりいただけたでしょうか。ここからは、2つの概念を競技かるたに当てはめて考えてみたいと思います。

競技かるたの選手は、読手が発する音声をできる限り早く聞き分けようと努力します。そのとき、重要になってくるのが音素と異音なのです。つまり、普段の生活の中では同じ音素として聞き取っている音を、試合中に異音として聞き分けることができれば、早く取れる札が増えるということになるのです。競技かるたの場合、直前にくる音の種類による条件異音は問題にならず、話者の個人差などによる自由異音も問題になりません。つまり、直後にくる音の種類による条件異音に注目していくことが重要だということになります。

とはいうものの、これは音を聞き分ける能力、いわゆる天性の「感じ」によるものではありません。私たちは普段から、音声をそのままの音として(=異音として)聞き取っています。それを意味のある言語として認識する段階で、音素に置き換えて認識しているだけなのです。つまり、音素として認識するのではなく、異音のまま認識するというトレーニングを積めば、ある程度は「感じ」を向上させることができるのではないかと考えられます。私たちが目指すべきは、音素の枠組みから抜け出すこと=「脱音素」なのではないでしょうか(「脱炭素」みたいになってしまいました)。

また、異音とまでいえないレベルでも、実は直後の音に影響を受けて微妙に変化している札はたくさんあります。この話については以前noteで論じたことがありますが、これについての詳しい解説はまた改めてすることにしましょう。

ひとまず今日は、音素と異音という2つの概念についてご説明したところで、終わりにしたいと思います。

お読みいただきありがとうございました。
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