落書き 《無悪善》

政治家が政権批判するのに、これ位のエスプリ?器量?がありゃ 国民は心配しなくて済むのだが。

落書き 《無悪善》
昔の落書きは
政争の道具政権批判として発達した模様。
これは有名な落書きだそう。
⇒平安期に小野 篁おのの・たかむらという漢学者がいて
才気で鳴ったその人の挿話。
嵯峨天皇の御代 宮中に「無悪善」と高札に記された
落書。
帝みかどは篁に判読を命じる。
中傷であることを理解した彼は
躊躇いつついわく「さが(悪)=嵯峨 =なくてよからん」
嵯峨はいなくてよい・・・彼の考えぬいた名答は
しかし彼自身が書いたものだと帝みかどに疑われ、
怒らせてしまったが最後は彼の才能を認めた帝みかどにより
お咎めなしになっている。
※しっかりとした教養がなければ
書けないことであるため、
帝は立札の犯人を篁だと考えた。
政治家が政権批判するのに、これ位の
エスプリ?器量?がありゃ
国民は心配しなくて済むのだが。
落書きの歴史としては平安時代初頭に
貴族階級で始まる。
しばしば政争の具に利用され
昇任・栄転をめぐる官僚どうしの
確執・暗闘にひと役かっていた。
元ネタは宇治拾遺(今昔)物語
現代語はリンク先にて。
原文
今は昔、小野篁といふ人おはしけり。
嵯峨の帝の御時に、内裏に札を立てたりけるに、
《無悪善》と書きたりけり。
帝、篁に、「読め」と仰せられたりければ、
「読みは読み候ひなん。されど、恐れにて候へば、
え申し候はじ」と
奏しければ、
「ただ申せ」
と、たびたび仰せられければ、
「さがなくてよからんと申して候ふぞ。
されば、上を呪ひ参らせて
候ふなり」
と申しければ、
「おのれ放ちては、たれか書かん」
と仰せられければ、
「さればこそ、申し候はじとは申して候ひつれ」
と申すに、
帝、「さて、なにも書きたらんものは、読みてんや」
と仰せられければ、
「何にても、読み候ひなん」
と申しければ、
片仮名のね(子) 文字を十二書かせ給ひて
「読め」
と仰せられければ、
「猫の子の子猫、獅子の子の子獅子」
と読みたりければ、
帝、ほほゑませたまひて、事なくてやみにけり。
※子は、「し」 「こ」 「ね」 と読める。
http://lscholar.hatenablog.com/entry/2015/04/27/233129

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