DUNE 砂の惑星(映画)のイスラーム性など

40年ほど前に始めて原作を読み、その世界に引きこまれていたわたしにとって、これは待望の映画だった。原作は、今回の映画の基にもなっている「DUNE 砂の惑星」以降も、「砂丘の子どもたち、」「砂漠の神皇帝」「砂漠の救世主」などなど・・・・と、延々と続く壮大な未来叙事詩なのだが、それらを全部読み、また著者フランク・ハーバートの息子ブライアンが父親の構想を引き継いだ「公家アトレイデス」「公家ハルコンネン」「公家コリノ」と続き、まだまだ邦訳されていない作品もあるという、永遠に続くかと思われる深淵なる大作なのである。

映画の感想や、映画のDUNEについての話、監督や出演俳優の話等は多くの人が書いているようだが、この映画、DUNEという作品を語る上で、もっとも大事なことは、この作品のイスラーム性であるとわたし自身は考えている。

わたし自身は、原作を読んでいるときから、異様に引きこまれてしまったのだが、その理由の一つが、今にして思えばイスラーム性なのだった。もちろん、詳細な舞台設定や現実の世界情勢、物理楽、生態学、環境学等々に裏打ちされた世界描写含めて素晴らしいのだが、個人的には物語に出てくる多くの単語、特にムアッディブ、ジハード、リサーン・アル・ガイブ等々、砂漠の民フレーメンの慣習や出で立ち、その環境等、イスラームやアラブ世界を彷彿とさせる要素があまりにも多く、それらがまた魅力であったのだろうと思う。じっさいに、DUNEシリーズを読んでから10年近くのちに、わたしはイスラーム世界に旅立ち、それ以来20年にわたってそれらの地を巡り続けてきたのだった。そのきっかけは何だったのかを自分でも忘失していたのだが、あらためて原作(新訳)を読み、映画をみて思いだしたのだった。

さて、映画に関しては多くの人々がこのnote上でも書いているので、わたしは多くは語らないが、かなりの出来映えだった。以前やはり期待して観に行ったリンチのDUNEが、あまりにも酷い出来映えだったので、今回はそういう意味でもとても素晴らしい追体験だった。IMAXで観たこともあり、その臨場感に呑み込まれ、自らもアラキスを彷徨する疑似体験を味わうことができ、3時間近い上映時間も短く感じられた。また、ポール・アトレイデス、ダンカン・アイダホ、ガーニー、ハルコンネン、チャニなどのキャラクターも、私的にはとても原作イメージに近かった。これはビルヌーブ監督の力でもあるだろう。ひとつ驚いたのは、帝国の惑星生態学者のリエトが女性になっていたこと。とはいえ、違和感なくストーリーにハマっていたけど。

DUNEのイスラーム性については、じつはハーバート自身も語っているし、最近では、ムスリムの学者であるハリス・ドゥラーニ氏が詳細な論文も書いている。興味のある人は是非読んでみて欲しい。

映画で少し残念だったのは、このイスラーム性の点がもう少し出ていて欲しかったのだが、この点は次回作(映画を観ていて気がついた人もいるだろうが、現在上映中の映画はパート1。続編制作が決まっている。)に期待したい。

DUNEは、単なるエンターテインメントや、わかりやすいSFアクション物を期待している人には不評のようだが、これほど原作を大事にして、そのイメージをかなり取り込めている映画は希有であろう。この点で、わたしは高く評価している。

いずれにしても、歴史に残る傑作であることは間違いないので、少しでも気になっている人にはぜひ映画館に足を運んで貰いたいと思う。そして、可能であれば、先に原作を読んで欲しい。その方が、映画の中に描かれた世界、用語等により理解が深まるから。

わたしも、上映中に再度観に行こうと心に決めている。


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