ほりうちけーアレクサンダーテクニーク教師

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ほりうちけーアレクサンダーテクニーク教師

「自分の使い方」を教えています 。レッスン予約はこちらから→ https://alexander-technique.webnode.jp / ちば とうきょう よこはま / アルトクラリネット吹き / くるり 世武裕子 マスドレ リーガルリリー ずとまよ

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目指すところは同じ。

どこの世界にもありがちだと思いますが、 始まった頃は源流が一緒なのですが、 だんだん世代が重なっていくと話が噛み合わなくなってくる。 目指す所は同じであったはずが なんだか違うもののようになってくる。 アレクサンダーさんは自分と向き合って 自分自身を観察し、自分自身を使って実験をした人です。 ポジティブに言い換えるとか、 イメージするだけとか、 こう動かすといいですよとか、 お手軽なものに聞こえるものが多くなっています。 私自身初めはポジティブに言い換えるとか、 そっ

    • 思い込み。動き。

      アレクサンダーテクニークがなんだかややこしく感じることの原因は 心と身体を別々に考えることが、一般的に 普通だと思われているからだと思うんです。 身体の機能、心肺機能や運動に関するものなどと 精神的なもの、思い込みや固定観念などは コインの裏表のようなもので 一方が変われば一方も変わる。 レッスンでは同時に進んでいきます。 思ったことは動きに現れるので 動きを中心に見ていきますが、 動きは思い込みによって 知らず知らずのうちに自分で制限をかけてしまっているので、 これも変

      • 習慣の強さ。

        何かをする時にやろうと思っていたことを 忘れてしまうことって、よくあります。 それは記憶の話だと思われていますが 多くの場合違います。 レッスンの中での話で言うと、 首の観察をし続けておいてください、 それだけがお仕事です。 生徒にこう言っていても、 動き始めると忘れてしまいます。 これは性格の問題や 記憶力の問題や その他なんでもいいのですが、 それらとは関係がないことが多いです。 首の観察をするだけ、 なのに忘れてしまう。 何が起こっているのでしょう。 私もトレ

        • 落とし穴。

          観察しているとき、あることに 陥ってしまっていることに気づけなかったりします。 気づけないとほんとに気づけないんですが、 例えば、手を動かすところを観察しよう、 と、その時に 動かしている手を観察しているのか、 自分が動かしたいように動かしているのを できているか確認しているだけなのか、が 重なり合っていてわからないんです。 動いているところを観察しているのか、 動かしていることを確認しているのか。 自分の手なのに、あたかも 他人の手かのように見られていますか。 他人

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        • アレクサンダーテクニークの共同マガジン
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        • アレクサンダーテクニーク
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        • ラクに吹きたい!
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          観察の精度。

          刺激が反応を起こさせるきっかけになる。 どういう反応をするのかは その時の使い方によって決まる。 習慣的なものになるのか、 刺激に反応せず、 意識的にコントロールされた反応を取れるのか。 ここでややこしくなるのが、感じられている 「感覚」は間違っているかもしれない、という事実です。 習慣的なものではない、と感じられていたとしても その「感じ」というもの自体が 間違っているかもしれないんです。 じゃあ、どうすればいいのさ!となりますが、 自分の感じていることは間違って

          フィニッシュを決めない。

          もしかしてそれってずっとなの? 「動きのきっかけ」と教えてもらっていたことの話です。 動きというか、思ったことというか この辺はレッスンで体験してもらいたいんですが、 その「きっかけ」はずっと起こっているものなんじゃないか? 今までは動き出しの時に その「きっかけ」があるといいんだな、 くらいに思っていたんですが、 どうやら違う。ずっとなんだなって。 動きは完了しない。 ずっと動いている途中です。 動きのフィニッシュを決めない、 いつでも動いている途中なんですよ。

          慎重、丁寧。

          慎重って、 レッスンという時間においては いらないものと言っていいです。 時間をかけていろいろな検討をして、 それから決定をする。 慎重には、こんなイメージがあります。 これって生徒側からすると、 きちんと考えている、となるでしょう。 でもそれって、教わっている、と言えるでしょうか。 自分のいま持っている判断材料で 検討し、決定している。 自分にはまだないもの、だから レッスンを受けようと思ったはずで、 それなのに自己判断を優先させている。 矛盾ですよね。 これって

          レッスン室にエアコンがつきました。 ようやくです。次の夏、涼しくレッスンできます。

          レッスン室にエアコンがつきました。 ようやくです。次の夏、涼しくレッスンできます。

          自己判断。

          自分で何かを判断できるって それはもう、 自分が自分の先生だ。 練習の奥義ってものがあるとすれば、 そういうことだと思うんです。 で、何度も言っているあれが 出てくるわけですよ。 できていると思っていること、それが できていないかもしれない、ってやつです。 感覚的にできている、やれている、と思えたことが 実は全く別のことをしていた、なんてこと よくあるんですよ、これが。 いろいろな原因がありまして、 思い込み、イメージ、こうなんだという頭でっかち、 理想、見様見真似

          「反応」しない。

          いいことを教えているわけじゃないんです。 身体の上手い使い方、を わたしは教えていません。 え??って思いましたか? 間違っていることをやめられるように 教えているんです。 間違っていることっていうのは、 あなた自身がやっていることで 専門用語で言うところの プライマリーコントロールを妨げるもの、 これら全てのことです。 プライマリーコントロールってなに?って、これは レッスンで時間をかけてわかっていくものなので、 一言でこう言うものです、とは言えないんですけれど、

          自分で考える。

          アレクサンダーレッスンは 行きつ戻りつで少しずつ進んでいきます。 3歩進んで2歩下がるんです。 前回の元に戻るの話。 レッスンでいろいろできるようになった、 うれしい!と思ったら、部屋から出たとたん できなくなっちゃった。という話。 全部まっさらになったということではないですよ。 安心してください。 戻るところのレベルというか基準というか、 できることは少しづつでも 確実にできるようになっているんです。 少しづつなので、進んでいる気がしない、のも事実。 で、落ち込

          やめたい、けど。

          レッスンが終わって部屋から一歩出たら 元に戻りますよ、と言ったりします。 レッスンをしっかり受けていないとか、 言われたことを覚えていないとか、 そういったことではないんです。 自分の中の「正しい」を 無意識にやってしまうからなんです。 実はやめたいと思っているものこそ 良いと思っていることだったりするんです。 だからやめたくてもやめられない。 ほんとうは良いと思っているから。 何かを習いに行っているのにもかかわらず、 自分の中の「正しい」や、 経験したことのあるも

          自分で決めていく。

          何かを習っていてもですね、 自分で決定していく必要はあります。 「え?なにもわかっていないのに、 どうやって決めるの??」 アレクサンダーレッスンでは 自分でできるようになることを目指していますので、 動きを決めるのはあなたです。 (だから施術ではなく、レッスンなんです。) 間違っていたら、 (レッスンの初めの頃はほとんど間違っているかもしれません。) きちんと教師が軌道修正してくれるはずです。 習慣に従った反応はしないと、 自分で決める。 そうしてやっと新しいものを

          自分って、変なやつだ。

          あー、これって根深いなあ、と。 練習している。 考えている。 何か進んでいると思いたい。 これらのフリをしていただけだった、という記事です。 自分の中にある、思い込んでいる 正解を自分自身に押し付けていただけだった。 「自分よ自分。こうやって動いてくださいな。」と。 わたし自身に押し付けているだけだった。 なんとごうまんな! 友達のアレクサンダー教師が、 軍隊式と呼んでいたのはこのことだったのかもしれません。 わたしだって、軍隊式と呼びたくなります。 いやー、お

          分けてしまうって、根深い。

          人間が機械であるかのように分割してしまう。 これはほんとうに根深くてですね。 分けるのではなく、統合して そのままを理解しようとしたり、 受け取ったりするんだよね。 こう思っている人でさえも、 ついつい分けて考えて 分析してどうなっているのかを 考えてしまうんです。 まるっと、と言ったら まるっとなんです。 と言いつつも、わたしも気づけば 分けて考えていることがあります。 どれだけ根深いんだ。 なんと書けば伝わるのかわからないですけれど、 例えば、人間の心身に起こるこ

          「する」んじゃないんだ。

          私たちは何かを身につける時 新しい何かを「する」、と思い込んでいます。 ですが、いますでにやっている やらなくていいもの、を やめることなく、新たに何かをしようとしても なかなかうまくいかないんです。 すでにやってしまっていること。 このことに気づくことは かなり繊細な観察が必要です。 すでにやってしまっていることが やめられたなら、そこには あら不思議、自然に正しいことが起こります。 新たに何かを「する」のではなく、 今やっていることを、やめる。 私たちはかなり