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2020年10月24日→2023年12月24日

2020年10月24日。私の人生にサッカーが登場して、青と白が加わって、本当の意味で大学生活が始まって、人生を変えてくれる出会いがあった。

出会いはスローモーション。劣勢の中、相手陣に切り込み右足を振り抜く背中。ゆっくりと鮮明に覚えている。2回目のサッカー取材、初めてピッチレベルで試合を見た。ルールも戦術も選手も知らなかったけど、聞こえてくる声やピッチを駆ける音、息遣い、全てに興奮した。0-1の状況、目を奪われた選手がいた。メンバー表を見ると同じ1年生、名前はなんて読むのかな。劣勢でもガンガン攻める姿は大きく見えて「この人に取材をしたい」と思った。先輩に質問項目を確認しながらダウンが終わるのを待った。「ピッチに入れば学年は関係ない」。その言葉を聞いた瞬間、「こういう人がプロに行くのかな」と同時に「多分この人がいたら強くなる」。そう思った。

この年の終わりの担当決め。ダメ元でサッカー主担当で提出すると編集長に「このまま行ったらあかねちゃんサッカー主担やで!」と言われた。「まじか」と思った。元々バスケをしていて、大学ではバスケ部のスタッフをやりたかった。アスレに入ったのもバスケ担当をしたいから。もちろんサッカーの知識なんてまるでない。CB?FKてどうやったらもらえる?4-2-3-1?守備的MF?0から始まった。シーズンが始まる前、サッカー経験者の弟、サッカー好きな父に最低限のことを教えてもらった。ノートにサッカー部員の出身チーム背番号名前を羅列した。近年の成績を書き込んだ。不安だった。入部して半年も経ってないのに強化部の主担当は務まるのか。サッカーを知らないのに記事を書けるのか。選手たちの顔と名前は覚えられるのか。自分から立候補したのに募る不安。その不安はすぐに解消された。「よろしく」と笑顔で挨拶してくださったコーチ陣、「なんでも聞いてな!」と声をかけてくれた選手。本音を話してくれる彼らに向き合わないといけない。不安よりも「頑張ろう」の気持ちが強くなった。

この年は躍進に次ぐ躍進。あれよあれよという間に試合は進み、リーグ2位、31年ぶりのインカレ出場でベスト16。Jリーガーも爆誕して嬉しい要素がてんこ盛りの担当1年目。2年目は担当としてのあり方を悩んだ1年だった。前年に比べて勝つことが難しくなり、ファンダー越しに悔しそうな表情を見ることが多かった。「私は何ができるのか」。悔しい中話を聞くのは正解なのか、悔しんでる姿をカメラに収めていいものか。今なら全てを残すべきと言うが、その頃はまだ自覚もなにもなかった。結果はリーグ6位、2年連続のインカレは成し遂げられなかった。

本来なら3年生で引退の学生新聞。どうしても同い年の最後を追いたくて、主担当に立候補。書いたことは「食野・福井擁する学年のラストイヤー。恐らく注目度は例年より高くなります。2年間で積み上げてきた経験と関係性を基に、京産大=サッカーと言われるくらいまで、取り組んでいきます」。覚悟を持って今季は活動していた。最強世代の同い年の私だから聞けること話せること、3年間見てきたから分かること、2年前の躍進を知っているからできること。責任を感じていた。伝わるか分からないけど、2年前の要素を文中に組み込んだり、同じ素材を再度デザインで使ってみたり。今年の躍進は「今」だけでなく「過去」がつながっていることを意識しながら過ごしてきた。インカレ決勝0時ちょうどに出したコラムもその思い。ギリギリまで公開するか悩んだけれど、歴代の先輩方にも届けたかった。紡いでくれた言葉を残したかった。

「ラスト1か月をサッカー部に捧げる」と誓った11月末。忙しなく毎日が過ぎていき、インカレ開幕、ベスト4、決勝進出。とんでもないくらいに躍進が続いた。正直12月は移動と取材と執筆・制作の記憶しかない。寝る間を削ってでも「京産のサッカー凄いよ!面白いよ!こんな選手がいるんだよ!」と伝えたかった。多くの方々に伝われと願いながら、自分を鼓舞しながら必死に書き続けた。12月24日、決勝、カシマスタジアム。「今日で最後」。0-0で折り返したハーフタイム。一緒に行った後輩と「大丈夫!勝てる!行ける!」そんな言葉を交わした。先制点が勝負を握る、祈りながら迎えた後半立ち上がりに2失点。最後まで得点奪えず、今季初の無得点で試合終了。「終わった」。選手らが挨拶を終えてロッカールームに戻った後、涙が止まらなかった。私が戦っていたわけではないのに、止まらなかった。私は彼らの努力の半分も知らない。けど苦労する姿、頑張る姿、悔しがる姿を見てきた。今年はみんなの努力が報われますように、そんな気持ちで手を動かし続けてきた。でも、報われなかった。全国優勝する高い壁を痛感した。

この活動を通じてたくさんの方々と出会えた。ダンディで笑顔が素敵で、フワフワしてる私を受け入れてくれたコーチ陣。ちょっとふざけながらも毎回取材に応じてくれた選手たち。関西リーグで色々お世話になったカメラマンの方々。自信を与えてくれたライターの方々。皆様が居たからこそ、私は最後までやり抜くことができました。改めて感謝申し上げます。

 2年前の部員ブログで「私たちの活動は数字で評価されることがない」そう書いた。本当にその通りで、私の3年間は100点満点なのか、それとも赤点なのか分からない。ただ、本音を話してくれて、カメラを向けると屈託のない笑顔を見せてくれる彼らに本気で向き合えたと胸を張っていうことができる。良い担当ではなかったかもしれない、良い記者じゃなかったかもしれない、良いカメラマンじゃなかったかもしれない。それでも暖かい声をかけてくれる人たちがいた。伝われと願って紡いだ言葉が届いていた。それだけで十分。最後に4回生9選手にサインをもらった。「一言自由に書いて」と伝えたらちょっぴりふざける選手もいる中、感謝を綴ってくれた選手がいた。きっとこれは通知表でいう所見。私もアスレに協力してくれたこと忘れません。

面白くて、優しくて、個性が強くて、かっこよくて、頼り甲斐があって、真面目で、真っ直ぐで、常に全力本気で、サッカーが大好きな同い年のみんな。私にとってこの先もずっとヒーローで大好きな存在です。一番長い12月24日まで担当を務めさせてくれてありがとう。幸せな学生記者生活を与えてくれてありがとう。

私はサッカー部員ではないから、もうみんなとは会えないかもしれない。でもそれじゃちょっと寂しいから、たまには近況とか教えてよ。久しぶりに会った時には、いつもと同じ「写真撮ろうか?撮るよ!ハイチーズ!」で笑顔を撮らせてよ。それまでみんな元気でねー!私も頑張る。

京産大サッカー部担当 兼 みんなのファンより

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