ライブ・レポート2

2016年1月30日、高円寺エスペランサで催された東京大学フラメンコ舞踏団OB・OGライブに出演しました。なんとか、という感じではありましたが3度目のソレアを踊りきりました。共演者のみなさま、お越しいただいたみなさま、ありがとうございました。

今回のソレアの練習・リハーサルでは、先生方から今まではあまりなかった助言をいただきました。それは「この部分・パーツが全体の中でどんな意味をもっているのか考えて踊ると良いよ」というものです。これを今後に活かすために―後輩の役にも立つかもしれないとも思いながら―記録に残しておこうと思います。

フラメンコの曲は、いくつかのパートから構成されてます。例えば、サリーダ、歌ぶり、ファルセータ、エスコビージャ、云々、というように。僕が振り付けていただいたソレアの場合、ソレア→ソレア・ポル・ブレリア→ブレリアと、パートの進展にしたがってテンポも上がっていくようになります。

こうした各パートを踊り分けられるようになるのが、いつも曲を習得するときにやっていることだと思います。ファルセータでは足音を打ち過ぎないとか、ブレリアになる際にテンポを上げきるとか、パートに合わせた踊り方をするというのが、まず大事になります。実際にできるようになるかどうかは別にして、パートの違いを「意識する」ことは、割合すぐできるようになる気がします。

これに対し、「この部分・パーツが全体の中でどんな意味をもっているのか考えて踊ると良いよ」という言葉は、もっと細かいパーツを指しています。例えば、歌ぶりの中のレマーテとか、振りの中の一つひとつの動きです。レマーテに入るときにしっかり合図を出さないと、それがバックにはレマーテとして理解してもらえない…というのは起こりがちです。これができるようにならないといけない。ただ、レマーテは振り自体が「区切り」としてできているので、区別を気をつけるのは、やりやすいかもしれません。では、歌ぶりの中の一つひとつの動きはどうでしょう。体を伸ばすこと、左右に移動すること、腕を動かすこと、みな振り付けられている以上、何らかの意味があるはずですし、そうであるなら、それぞれ「どう踊るのか」を意識して踊るべきであるはずです。でも、これが難しい。表面上真似することはある程度できるのだけど、「意味をもたせて」踊ることが難しいのです。最近スペイン人の踊りを見ていると、腕や脚の大きく動かしているわけではないのに、重心の移動や体の向きを変えるだけで、「一つの振り」として成立しているのに驚かされます。踊り方を考えるときに、曲の単位として「歌ぶり」や「エスコビージャ」を使うことはするのですが、それぞれのパートの中の動きにまで意識を巡らせるのは、なかなかできない(やろうと思わない)ことでした。

これを表現するために「起承転結」という言葉も、もらいました。サリーダからはけ歌まで、曲の構成は起承転結になっていますが、それだけでなく、歌ぶりのなかにも、エスコビージャの中にも起承転結があるはずです。でも、歌ぶりの始め(起)や終わり(結)のことを意識することがあっても、承や転の部分をさらさらっと流してしまうことが、起こりがちかもしれません。

意識する・しない、という話は、振りができる・できないとは、少し別の次元にあるかもしれない、とも感じました。同じ振りであっても、意識の部分、つままり「踊り方」次第で、その振りがもっているポテンシャルを発揮できるかどうかが決まるのです。「何をイメージして踊っているの?」と聞かれたり、「誰の踊りが好きなの?」と聞かれたりしたのは、まさにそのことを突かれているのだと思いました。自分の場合、曲のイメージ自体は多少はありましたが、誰の踊りが好きなの、という部分に答えられませんでした。Youtubeでフラメンコの動画を見はしますが、誰の踊りはどんな特徴があって、ということを意識して見てはいませんでした。

ここに乗り越えるべき壁があるのか、と気づかされたのが、今回のライブです。大学院生になってフラメンコ続けられるかなーとどっちつかずの状態でいましたが、こうやって反省点が出てくると、このまま引き下がるのも嫌だなという気分になります。また普通に踊っているんじゃないかと思うので、今後ともよろしくお願い申し上げます。

追記:小さな体の動きでも意味をもつようにするためには、意味のない余計な体の動きが極力なくならないといけないのだろう。身体をコントロールできるよう鍛えることもまた大事だ。

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杉山昂平

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