時間に囚われすぎない

私は浪人して現在の大学に入りましたが、予備校に通わない「自宅浪人」という形を取りました。基本的に1人で勉強と練習を行い、現在の大学に合格し、浪人期間の9月には5000mの自己ベストを3秒更新(14’27→14’24)することができました。

なかなか稀な経験ということで、大学入学以降、宅浪時代の生活について取材して頂く機会が多かったです。ある記事にはおおよそこのように書いてありました。

午前5時30分に起床して10〜15キロのランニング。図書館の開館時間の9時30分から午後6時まで勉強。その後10〜15キロのランニング。

はっきり言いますが、ほとんど嘘です!(ごめんなさい)

3年以上の前の記事なので正確に覚えていませんが、「こういう日もある」と言うつもりがうまく伝えられなかったのだと思います。自分の落ち度です。

今回伝えたいことは、私が宅浪期間をうまく過ごせたのは、記事から解釈できるような規則正しい生活を送っていたからではなく、むしろ時間に囚われすぎなかったから、ということです。

宅浪期間における私の目標は、「大学に合格すること」と「自己ベストを更新すること」でした。そのためにやるべきことは必要な勉強と練習をすることで、いつやるかについては何も問題にはなりませんでした。実際、朝6時に走ろうが8時に走ろうが本質的な意味は全く変わらないと思いませんか?

そもそも「時間」という概念は、集団や自分自身を管理するために人間が恣意的に作ったルールだと思っています。全ての人間は社会という文脈の中で生きていくので無意識のうちに時間にコントロールされていますが、本質的には意味を持たないことが多いのではないでしょうか。いつやるか、どのくらいの時間やるか、というのは目的とする成果に対して相関こそあれど因果関係を持つことは少ないでしょう。(流石に昼夜逆転となれば健康に影響も出るでしょうが)。

高校までは始業時間、授業時間、部活時間といった1日の大枠の流れが時間によって規定されていたので、時間にコントロールされる生活を送っていました。実際それが理にかなっていたと思います。
しかし、宅浪期間はほとんど自分に裁量が委ねられておりやるべきことも明確だったので時間にコントロールされる必要性を感じませんでした。逆転の発想かもしれませんが、集団に所属しているわけでもないのに、苦痛を伴ってまで意味もないルールに従おうとするのは間違った努力な気もしていました。1日24時間自由に使えるのに規則正しい生活を送るモチベーションがそれほど湧がなかったのです。
そう割り切ることで、数時間、ましてや数十分、標準としていた生活リズムからズレても全く気にせずやるべきことを見失わずに生活できました。時間通りに行動できなかったことに対して精神的ストレスを全く感じなかったことが受験生活をうまく送れた要因だと考えています。

今回の文章で誤解してもらいたくないところは、普通に生活するに当たって時間を意識することは大事です。(時間にルーズな自分に対する戒め)。宅浪期間という超イレギュラーなケースを取り上げています。また、規則正しい生活を否定するわけではありません。その人の性格によります。ただ、何をするにしても時間はあくまでも恣意的な指標なので囚われすぎない方がいいかもしれない、ということです。

時間についてはまたの機会にも書こうと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました!

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近藤秀一

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コメント1件

読みました。

『そもそも「時間」という概念は、集団や自分自身を管理するために人間が恣意的に作ったルールだと思っています。全ての人間は社会という文脈の中で生きていくので無意識のうちに時間にコントロールされていますが、本質的には意味を持たないことが多い』

このメッセージに深く共感します。

うまくこの概念を活用できたなら、社会生活を営みながらも、自分の尺度で仕事なりライフワークに取り組む事が出来そうですね。

素晴らしい気付きをありがとうございました。
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