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もっともっと「牧歌的」に生きる

何回見たかわからない。
大好きな動画。


僕はNoteで、思いのままを書くようにしている。

おかげで、バズることもなければ、批判をくらうこともない。

他に日記も書いているけど、Noteで他人に向けた内容に書き換えることで、より頭の中で思考の整理がつくと思っている。つまり、大衆向けサービスを利用することで、自分のために書いているのである。

ちなみに、以前、Twitterやインスタ、Facebookを熱心にしていたころは「有益な情報を伝えなきゃ」とか「いいねをもらうには…」なんて考えて、とにかく無理やり大衆向けに投稿していた。

その結果、誰かへの批判や、自分の不遇を嘆くものばかりが増え、「重い内容」がやたらに増えた。


今朝、適当に登山。最近は計画通りに生きるなんて無理。

その頃は、知人や同業者に向けての発信だったから、反響もたくさんあった。SNSを通じて仕事をもらったこともある。それなりに手ごたえを感じていたけど、その仕事も背伸びしなくちゃいけないから、結局は周囲を見下す自分を作り上げてしまっていた。

ある時、自分みたいな未熟な人間が「すごい人」みたいに扱われるようになって、寒気がしたのでそういうことは一切辞めることにした。


ここ最近、計画的に生きることがほぼ不可能になってきた。


衝動的で、無駄な行動とりまくり。
貯金なんてできまへん。
まあ、それも適度な感じで続ける。

スタバに行って一生懸命読書もできなくなってきた。
むしろスタバは素敵なお姉さんへの「推し活」(笑)
ギラギラ生きるなんて、もう疲れ果てて不可能。

できるなら二日に一回仕事も休みたい。


景色の写真を適当に撮って載せるNoteが楽

でも、そういう今の牧歌的な自分の生き方は息苦しくなくて楽だ。

切り詰めた生き方、そういう日々へのあこがれもある。

ときどき、そういう自分が出てきて、不足ばかりを感じてしまう時期がある。苦しくて、生きていることがつらくなる。

でも、生きるのはもっと牧歌的でいいのだろうって思う。

大衆社会に入り込んでいるようで、大衆社会を外から見て、個人を自由に生きるような、そんな自分でいたい。


人に迷惑をかけなければ、怠けていいし、衝動的でいいし、頭の悪い自分でいい。


長野県高山村の果てにて


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