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急行電車に飛び乗って、海へ行く

江ノ島に行った。

土曜、昼過ぎまで寝て、洗濯をして、適当なご飯を食べて、あーどうしようね、今日何する?何したい?と言い、いつもなら適当にご飯食べに行ったり買い物行ったりするのでそんな返事を待っていたら「遠くに行きたい」と言う。

遠く。遠くってどこだろ。

じゃあとりあえずさ、準備だけして、急行電車に乗り込んでから考えない?それがいいよ、もう3時だし。とりあえず準備して、駅に向かい、最初に来た下りの急行電車に乗り込んだ。小田急線沿いの観光地を電車内で検索する。
「小田原?」「小田原いいけど、一時間半かかる」「鎌倉もいいね」「いいね。でもこの前行かなかったっけ?」「箱根行っちゃう?」「やば、ホテルとれるかな。あ、江の島はどう?」「二人で行ったことないよね」「ないない」「ここからだと1時間か」「良くない?」「いいね」行こう。

あんなに眠っていたのに、また電車でひと眠りしていたら江の島に到着。片瀬江ノ島駅は改装工事中で、わかりづらくなっている。「小田急線はさ、すぐこうやって白い壁で囲ってさ、出口をわかりづらくする!」と憤慨する声を聴いて「白い壁」と思う。白い壁っていいね。

外に出るとものすごい風。春一番か、潮風か。

家にいるときは花粉で顔がぐしゃぐしゃになっていたのに、風のせいというかおかげで全然花粉が来ない。苦しくない。ただ、向かい風が苦しい。
「とりあえず島に行こう」と江の島へ向かう。「俺、江の島に行くの初めてかもしれない」「わたしゼミで来たよ。しらすコロッケっていうコロッケがあって、すごくおいしくなかったんだよね。それに、トンビがひゅるるる~~~!って飛んでるからゆっくり食べれなくてサイテーだった記憶ある」「まだあるかな、しらすコロッケ」「あるんじゃないかな」

江の島に向かう桟橋は帰る客で混み合っている。これから江の島に向かおうとしている仲間たちもいるが、少ない。日はどんどん落ちてくる。

島につくと観光客でにぎわっている。しらすコロッケも相変わらずある。けど、食べ歩きやお土産物屋をスルーして神社へ向かう。エスカーは使わず、ゼーハー言いながら階段を登っていく。江島神社の辺津宮に到着してお参りすると、後ろのほうでだいぶ政治的で暴力的なお願いをする人がおり、ビビる。そんな大きな声で言わなくても。というか、心の中で思うだけでよいと思うよ、その願い。伝えたかったのかな。
「活動家というか、ああいう思想家みたいな人は発声がしっかりしているよね」「練習とかするんじゃない?」という話をする。声のでかいやつの意見のほうが採用されやすいってよく言うし、活動するためには自分の声を大きくしたほうがいいってことなんだろうか。活動家たちが発声練習する様子を思い浮かべる。かわいいな。

ずんずんと階段を登っていく。辺津宮、中津宮、奥津宮を順々にお参りしていく。途中にある力の石とかゆかりのある銅像とか、そういうものもチェックしながら歩く。
神社を超えててっぺんまで行くとサムエルコッキング苑がある。「声に出して読みたいサムエルコッキング苑!」と連呼していると、「サムエルコッキング苑ってなんなの?」とまっとうな質問が来る。わたしは詳しく知らないので黙る。声に出して読みたいのに、黙る。

「奥にある岩屋洞窟まで行こう」というので、「もう閉まっているよ」というと「わかんないじゃん、行ってみないと」というので渋々ついていく。案の定洞窟は閉まっている。が、洞窟に向かう橋からは海と夕日がものすごくキレイに見える。「こりゃ来てよかったよ」と言うと「ほらな」という顔をされる。
洞窟の近くでは人々は夕日を眺め、写真を撮り、各々の時間を楽しんでいる。風が強まってきたので「帰ろう」と言い、そそくさと帰る。帰りこそエスカーに乗りたいものだが、登りしかないので断念。おとなしく歩く。
風が強く、階段をおりる背中を押される。龍の神が宿るという説明文を読んだあとだったので、「龍の神様が怒っているんだ。早く帰らないと」というと「ずいぶんかわいいこと言うね」と言われる。龍神さま、怖いじゃん。

足早に来た道をそのままグーっと戻ってきて、いつの間にか駅前につく。「ごはん食べたいね」といっていたが適当な店がなく、駅前のハンバーガー店に行く。おいしい。隣に手話で会話するカップルがいたが、店を出るときまで普通に会話していると思っていた。今、手話を学んでいるが、手話ってどうして、あんなに音を感じるんだろうか。不思議だ。

急行電車に乗り込み、そのまま眠る。

応援があると人は強くなる。例外なくわたしもそのはずです。