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初恋が怖い

いまだに、初恋の人が夢に出てくる。
好きだったのは小学3年生のときから中学2年まで。いや、もっと言えば、大学生のときまでうすぼんやりと意識していたから、ざっくり10年くらい好きだった。けど、本当のことをいうとまだ好きなのかもしれないし、夢にも出てくるから20年くらいずっと意識していることになる。

どこを好きになったかは全然わからない。小学校3年のときに同じクラスになって、一目惚れした。理由はわからない。好みの顔だったのかもしれないが、その顔もよく思い出せない。
それに、その人が特別な人だったかというとたぶんそうでもない。気も合わなかったし、趣味も合わなかった。一緒にいて楽しいとか、タイミングが合うとか、そういうこともなかった。クラスの人気者というわけでもなかったし、カリスマ性も特にない。1年半付き合ったけれど、会話が全然盛り上がらなくて別れてしまった。
ただ、会えると嬉しくて、胸がどきどきした。緊張して、言いたいことが全然言えなかった。正真正銘の恋だった。

高校時代に、急に連絡が来たことがあった。「元気?」とかそんな他愛もないメールだったけど、通知が来た途端に呼吸が止まった。あんなことになるのは、初めてだった。
結局、そのあとに会って話したけれど、緊張するし、言いたいことは言えないし、もやもやするし、ドキドキは鳴り止まないし、変だった。あれを「恋」と呼ばなければ、なんらかの病気に分類されるほど、挙動不審だった。

でも、もう一度付き合いたいかと言われれば「NO!」だし、まだ好きなのかと言われるとわからない。彼はもう結婚しているし、わたしにも大好きな恋人がいる。もう一度、話したとしても何を話せばいいかわからない。けど、いまだに夢に現れる。

去年参加した同窓会で、再会した。”再会”というよりは”目撃”に近かった。全く話さなかったし、目も合わせなかった。いや、厳密に言うと、「話せなかった」し、「目を合わせられなかった」のだ。一瞬だけ、道を譲るので「どうぞ」「どうも」と言葉を交わしたけれど、それだけでもう、ダメになった。あれは一体何だったんだろう。

きっと、片思いの期間が長すぎてずっと彼を想うことが習慣づいているんだ、と思う。綿矢りさの『勝手にふるえてろ』で、初恋のイチとの思い出を何度も召喚して、その記憶を楽しむ場面があるけれど、わたしもよくやる。他愛もない会話、一目惚れした瞬間、彼の帰りを待っていた時間、はじめて誕生日プレゼントをもらった瞬間。それを思い出して「あれは、なんだったなろうな」と思う。きっと恋だったんだろうが、ここまでくると他の感情なんじゃないか。ただの情か、そんなことも考える。

10年、いや、20年考え続けてわからないのだから、この先も当分わからないんだろうし、わかりたくもない。きっとこれは「呪い」であり「宝物」でもある何かなんだろう。初恋を心の中に飼うことが、わたしの癒しにもなっている。けど、なんとなく、このままではいけない気もする。初恋のことを考える時間がなくなってほしいと思う一方で、なくならないでほしいとも思う。きっとわたしは、記憶の中の彼に、ずっと恋し続けているんだ。

応援があると人は強くなる。例外なくわたしもそのはずです。