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kotonoha_seki
2022年3月24日 17:20
日本統治下で賑わうソウル、いや京城の街。日本人が続々と入植してゆく、京城の近郊。朝鮮時代から内陸水運の河川港として、また渡し場として賑わっていた纛島のまちも、生活の近代化や物流の増加など京城近郊の拠点として重要度はますます高まっていったようです。 そんな中、大きな転機となる事象がありました。 1925年7月、京城近郊は大雨に見舞われます。4日降り続いた豪雨により漢江沿岸の集落や施設は大き
2022年3月21日 14:44
ソウルの、いや京城のまちの電車ものがたりなどをつらつらと「ゆめ語り」しているのですが、初回からの続きをば…初回記事はコチラに https://note.com/ktnh/n/n672fd69269da さて、ソウルが京城と呼ばれていたころの街は、今のソウルより、ずっとコンパクトでした。 朝鮮王朝時代の首都だった「漢陽府」はヨーロッパや中国に多い城郭都市で、西大門・南大門・東大門、そして街
2022年3月21日 13:33
ソウルの街を縦横に駆け巡る地下鉄、郊外へひた走る電鉄。いまのソウル都市圏は世界トップレベルの電車ネットワークを誇る街。そんなソウルにも、昔、市内電車が走っていました。 ソウル(いや当時は漢陽の時代ですね)の市内電車は、朝鮮王朝(大韓帝国)時代の1898年に王室とアメリカ資本との共同出資で設立された電気会社「韓美電気」によって企画され、翌年4月に西大門−鍾路−東大門−清凉里間で開業と、かなり早
2019年2月27日 19:58
異国での汽車旅、引き続き、書いてみようかなと…2014年5月の訪韓は、恒例となっている「まちあるき」だけでなく、列車の旅を愉しむこともテーマとし、敢えて釜山イン・アウトでソウルまで列車で往復するプランに。往路は日本の夜行列車を彷彿とさせる懐かしい汽車旅でしたが、復路は「外国をしっかり楽しむ」ための行程としていました。まあ「しっかり楽しむ」とか言いながらも、帰国の途にはつきたくないもので、宿
2019年2月26日 19:04
前回投稿からの続きを、書いていきましょうかね…。さて、私が海外で初めて本格的な「汽車旅」をしたのは、2014年5月、韓国でした。2012年から頻繁に訪韓するようになり、交通好きもあってソウル近郊では色々な「のりもの」に乗り、列車にも何度も乗っていました。しかしそれは「移動」のためのものであり、旅情を楽しむためのものではありませんでした。そろそろ、汽車旅を、してみたいなぁ…と。気が付けば、
2019年2月14日 12:39
鉄道が好きな、私。今の旅行好きは、鉄道好きが高じて「そうなった」ものです。まあ、子供の頃はご近所の私鉄電車が中心で、国鉄というものを認識できる機会もほとんどなく、狭い世界の中のこと、でした。しかし、国鉄-JRに触れる機会も増え、ほかの「世界(地域)」の鉄道が、少しずつ身近になると言いましょうか、あぁ、つながっているんだなぁ…と実感できるようになりました。こういうのに乗れば、「どこか」に