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嗚呼、金瓜石…

 ちょっとショックなニュースが、Twitterのタイムラインに流れてきました。

 金瓜石!あの静かな山村だった金瓜石の街並みが、ペイントされている…、と悲しくなっていたのですが、どうやら私の思っていた場所とは違うようで。

 このたびペイントされてインスタ映えスポットぽくなったのは、金瓜石エリアのうち祈堂老街という集落で、ここは日本統治時代に金鉱で栄えた金瓜石・九份のうち、台湾人が中心となり造営された集落だそうです。名の通り廟があり、鉱山関係者や労働者のための商業地としても栄えていたそうな。九份の老街と同じですね。とはいえ九份のような大観光地にはなっておらず荒れていく部分もあったようで、そのテコ入れ的な意味でのペイントなのでしょう。

 あぁ、良かった…(というのは微妙な表現かな)。私の知っている「金瓜石の集落」じゃ、なかった…。

 2016年の5月、私は、何も知らないまま、金瓜石を訪れることとなりました。LCCの深夜便就航に浮かれてポチっとな~とチケットを取り、早朝着を活かして空いている間に九份を観光しようと思い、訪れたのです。

 瑞芳から私を乗せたバスはぐいぐい山を登り、九份の街に至った…のですが車内放送もなく早朝なので観光客も居ず、降りるタイミングを逃してしまい、どんどん山奥へ…。これはヤバい!と観光施設っぽいところで降りたのが、金瓜石の金鉱山跡地でした。ということで、私が訪れていたのは祈堂老街より鉱山を挟んで西側にある、小さな小さな、住宅地でした。


 バスを降り損ねて連れてこられた山奥の鉱山跡。せっかくだから観光しようかと思うも早朝なのでまだ開いておらず、どうしようかな~と周囲を見渡すと、これはまた、何とも…

 こんなん、タマリマヘン…。本当に、吸い込まれるように、足が向かいます。帰りのバス?時間?どないかなるやろ…。

 バスが行く細道の脇に、谷へ下る細道があります。そのすぐ先で車道は終わり、階段の村に、至ります。

 本当に、平地が全くない斜面に、どうにかへばりついているような住宅。そしてそれらを結ぶ、無数の階段。

 あぁ…すごい…、すごいところに来てることを、実感しつつ歩きます。

 銀色のタンクは、雨水の貯水槽。台湾ではよく見かける施設ですが、この山中、そしてこの斜面だと、命のタンク。日常生活の多くの水を、これに頼っているのでしょう。

 村は、さらに奥へと連なります。

 階段も、それらを結ぶ細道も、連なります。

 ようやく、人の気配がしてきます。赤が、その証。

 村は、さらに奥へと続きます。

 奥へ奥へと進むにつれ、村は、森に、溶けてゆきます。

 これ以上は、やめておこう。
 振り返り、村へ戻りつつふと見たら、その向こうに、海が、ありました。

 山の中にいるんだけど、ここは、海のそば。島の、山。そして日本が金鉱目当てに開発した、産業街。忘れかけていたことを、思い出しました。
 そんなことを考えながら歩くと、こんなものが目につきました。

 ん、これは…

 レールです!細い、細い、レール。

 鉱山の構内軌道で使われていたのか、それとも麓まで続く軽便鉄道のものなのか。鉱山が閉まり、用済みとなったレールを建築資材に転用しようとしていたのでしょう、無造作に、放置されていました。あぁ、ここは、やはり産業街、だったのだ…。

 細いレールの「重み」。この村の歴史をずしりと実感しながら、帰途につきます。この村も、少しずつ「あたらしいひと」が入ってきているようで、リフォームされた数軒はカフェや民泊施設となっている様子。これから、どう変わっていくのでしょうか。

 勝手な願いとはいえ、できれば、今の、静かに、少し湿った雰囲気を、残してもらえれば、なぁ…。


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