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尊敬した人は、目が見えなかった

高橋 昌希(たかはし まさき)
91年、香川県高松市生まれ。広島大学教育学部・特別支援教育教員養成コースで学ぶ。2014年同大学を卒業後、国立障害者リハビリテーションセンター学院・視覚障害学科に入学。同大学卒業後は、日本赤十字社が運営する「神奈川県ライトセンター」にて歩行訓練士として従事。18年から同行援護事業所「みつき」を運営している。視覚障害に関する情報を発信するメディア「Spotlite」(https://spot-lite.jp/)発起人。


視覚障害者コミュニティのなかで

加藤(以下、か): 高橋さんとは、私が所属している視覚障害者のランニングチームではじめて会ったんですよね。そこから高橋さんの巻き込み力でいろいろなプロジェクトにアサインしてもらったのですが……正直あまり高橋さんのことを知らないので、今日はたくさん質問させてください。

高橋さん(以下、た):いろいろ加藤さんに仕事をお願いしているのに、自己紹介もままならず、すみません(汗)どうぞどうぞ!

か:まず、今の仕事や活動について簡単に教えていただけますか?

た:えっと。今は「Spotlite」というウェブメディアの運営や編集をしています。他に、同行援護事業所「みつき」の運営とOTON GLASSの開発協力、それから香川県 日本網膜色素変性症協会(JRPS香川)の支援会員としてイベントなどを少しお手伝いしています。サポーターをやっています。

か:「Spotlite」は、私もプロジェクトアサインされている視覚障害者に関するメディアですよね。それ以外に詳しく知らないので、まず、同行援護事業所のことから教えてください。

た:同行援護っていうのは、視覚障害をもつ人の外出や代筆、代読を行うサービスで、主にガイドヘルパーと呼ばれる人が行なっています。僕は視覚障害をもつユーザーとガイドヘルパーをむすびつける同行援護事業所を運営しているんですね。「同行」というと、ただA地点からB地点まで移動する単純なサービスだと思われるかもしれませんが、移動といってもさまざまで、ランニングにつき合ったり、試合の遠征で遠方へ行ったりと、サポート内容は多岐にわたります。

か:うん、うん。

た:僕の事業所が少しユニークなのはスポーツ好きが多いこと。僕自身がゴールボールなどの視覚障害者スポーツを経験していることもあり、運営している事業所のユーザーもスポーツマンが多いんです。せっかく若くてスポーツが好きな人が多い事業所ので、これからはユーザー同士の交流会もやっていきたいな~と思っています。あ、加藤さんも来てくださいね。

か:ぜひ行きたいです。OTON GLASSや香川県 日本網膜色素変性症協会( JRPS香川)はどうでしょう。

た:OTON GLASSは視覚障害を含め、文字を読むことが困難な人のために開発された音声読み上げる機能のあるメガネなんですが、僕はこの製品をつくるためのユーザーリサーチを手伝っています。専門学校時代から続いているロービジョンコミュニティーを生かして、当事者に製品に対して意見をもらったりしています。

か:OTON GLASSは2019年から株式会社JINSの資金調達を受けましたよね。

た:そうなんです!なので、これから本格始動だな~って感じです。それから、 JRPS香川のサポーターとして、香川県の視覚障害者の若者交流会の企画や運営の手伝いもしています。他にも、視覚障害の有無に関わらず楽しめるヨガクラスの立ち上げに関わるなど、自由にやらせてもらっていますね。サポーターをやろうと思ったのは、地元・香川が好きだからという理由もありますが(笑)、視覚障害における地方格差に関心があったから。まだ具体的な行動には落とし込めていないのですが、東京と地方の情報格差についてはゆくゆく取り組んでいきたいなと思っています。

人との出会いがステータスを無価値にしてくれた


か:高橋さんて、大学自体から現在まで一貫して「視覚障害」分野で活動してますよね。もともとご友人などに当事者の方がいらっしゃったんですか?

た:いや、僕は家族にも友人にも視覚障害がいをもつ人はいなかったんですよ。

か:あ、そうだったんですね。てっきりご友人かご家族にいらっしゃるのかと。

た:大学で特別支援教育・視覚障害コースを選んだのも「なんとなく」だったんです。大学入学直後にコース選択をしなくてはならなくて、本当に何も考えず選びました。だから、はじめから視覚障害分野に積極的だったわけではないんです。

か:へえ〜〜〜〜。

た:ただ、大学3年生のときにベトナムから全盲の留学生がきて、たまたま僕が受け入れることになったんです。これが転機でした。彼はまだ盲学校のなかったベトナムに、盲学校をつくりたいと言って日本に来たんですね。意思をもって、日本語を勉強し、異国にやってきた。「こんなに勇敢な人がいるんだ」と尊敬しました。

か:うん、うん。

た:それから、同時期にゼミの先生からの紹介で、中途失明の60代の女性に点字を教えていたんです。中途失明の方の場合、まだ指先の感覚が磨かれていないので、通常の点字のサイズでは読み取れないんですね。そこで、僕が2×2㎝ほど拡大した点字をつくって教えていたのですが、それがとても楽しかったんです。少しずつできることが増えていく日々をともに過ごすなかで、僕は目の前の人たちに何ができるのだろうと、自然に考えるようになりました。

か:それで大学卒業後に、国立障害者リハビリテーションセンター(国リハ)学院に入学するんですね。国リハでは、どんなことを勉強したんですか。

た:視覚障害学科で、歩行技術の教授法や視覚障害をもつ人のためのデジタル機器の活用法などを学びましたね。

か:なるほど。

た:学科での勉強も充実した時間だったのですが、放課後はブラインドサッカーやゴールボールなどの障害者スポーツに夢中になっていましたね。ちょうど僕が入学した頃に国リハの中で、ゴールボールチームが結成されました。チームには、10代~40代の仲間がいて、僕のような晴眼者もいれば全盲、視野欠損、視野狭窄の人など、見え方もさまざまでした。そうした「異なる」仲間といることが、当時の僕にとっては意味のあることだったんです。

か:「異なる」仲間といることの意味について、もう少し詳しく教えていただけますか。

た:うーん。ちょっと恥ずかしい話をしていいですか?

か:どうぞ、どうぞ。

た:本当に恥ずかしながら、僕は学生時代まで学歴主義者だったんです。

か:意外です。今の高橋さんは自由人って感じだから。

た:ですよね(笑)高校が進学校だったこともあり、人の価値っていうのが、学歴や会社などのステータスによって決まると思ってたんですね。でも、ゴールボールのチームメイトから、身長が高いというシンプルな理由で「ジャンボ」というあだ名をつけられたんです。そのシンプルさが当時の僕にとってはよかった。そのときにはじめて、僕は優秀でなくても、誇れる何かがなくても、存在していいんだと思えたんです。

か:年齢や学力、文化の同質性が高い集団のなかにいると、自分のユニークさを見失いがちですが、年齢や見え方も異なるゴールボールチームの仲間と出会ったことで、自分の存在を肯定できたんですね。

た:その通りです…!同時に、偶然が重なって行き着いたこの視覚障害という分野が僕のフィールドだと思えました。

か:それで国リハを卒業してから、日本赤十字社が運営する 神奈川県ライトセンターで、視覚障害者の歩行訓練や生活訓練をやっていたんですよね。

た:はい。ただ、こうしたサービスを提供できるのは、サービスそのものの存在を知っている人や知る方法を身につけている人に限られます。これは視覚障害に限らず障害者福祉全般に言えることなのですが、本当に困っている人はそうした情報を知る機会を奪われていることが多いと思うんです。そういう待ちの姿勢にじれったくなって、自分で同行援護事業所をはじめました。

全員が「自分」という当事者

か:高橋さんて本当に多動というか、精力的に活動されていると思うんですが、さまざまな活動をするなかで、大切にしていることはありますか。

た:そうですね。自分が一番楽しむってことですね!

か:自己犠牲的な支援ではなく、視覚障害者といることを自分が一番楽しむスタンスということですね。

た:そうです。福祉業界の方は優しい人が多いのですが、当事者も望んでいないような過剰な支援をたまに目にします。でもそれって、支援者と被支援者の関係性を固定している気がするので、あまり好きになれないんですよね。

か:激しく同意です。

た:もともと僕が歩行訓練士になろうと思ったのも、視覚障害者といることが純粋に楽しいと思えたり、尊敬できる人がいたからなんです。自分が一番楽しむほうが、当事者も気が楽になると思うので、この考え方を大事にしています。

か:うん、うん。

た:あと、当事者しか言ってはいけないことがあるなあ、ということをいつも考えています。

か:たとえば?

た:「目が見えなくてもやれることはたくさんあるよ」という言葉を、晴眼者が語るべきではないということです。僕自身、ガイドヘルパーとして経験が浅かったころに、何気なしにそんなことを言ってしまって、言われた方は「そう言われると傷つく人もいるから気をつけた方がいいよ」と優しく諭してくれたのですが、とても反省しました。自分は他人になれないし、他人は自分になれないという当たり前のことをよく反芻します。

か:なるほど。

た:ただ、この「当事者」というのは視覚障害者に限りません。ガイドヘルパーはガイドヘルパーの、歩行訓練士は歩行訓練士の、そして僕は僕という「当事者」だと思います。だからいつも、どこかの誰かが言ったような言葉ではなくて、自分の言葉を伝えるようにしていますし、相手に成り代わって語ることはしないように気をつけています。

か:自分の言葉で話すって、よく考えると難しいですけど、大事なことですよね……。いい話だなあ。では、最後の質問。これからやりたいことはありますか。

た:一つは当事者と非当事者の接点を増やしたいですね。具体的には、同行援護事業所でユーザーとふだん視覚障害者と接点のない人を呼んで交流会を開催してみたいですね。ケアワーカーでない人が当事者と関わることは、双方にとって新しい気づきがあると思うのです。

か:うん、うん。

た:もう一つは、視覚障害者の仕事をつくること。視覚障害者が就く職種の大部分を、マッサージ師が占めていることは周知の事実です。でも、私の周りにいる視覚障害者の中には、SEやブラインドライターとして活躍している人もいます。どれも生業にするには難しいところもありますが、「マッサージしかないから」ではなくて「自分はこれが好きだ」というものを一緒に仕事にしていきたいですね。

か:選択肢を増やしていきたいんですね。

た:そうです。あとは、同年代の仲間を増やしたいし、地元香川にも何か還元したい。やりたいことはたくさんありながら全然追い付いていないので、もっと効率よく色んなことができるようになりたいです。

か:こんなにやりたいことが盛り沢山な人、なかなかいないです(笑)すごいなあ。今日はありがとうございました。これからも、よろしくお願いいたします。

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