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私はマイクを持ちたいんだ

葬儀の仕事を約2年して、やはり私はマイクを持つ仕事に憧れていると言う事を確認した。

あっけなく落ちたアナウンサー試験だけど、まだ少し引きずっていた。


「司会になろう!」

会社を辞めてすぐ、司会の養成所に入学した。

なぜか社長に気に入られ、入学金とレッスン料は他の養成所に比べて格安の7万円。

週に2回レッスンがあり、他の日は養成所の電話番として働かせてもらうことになった。

自宅から片道1時間半、遠かったが、目的が明確だったのでそこまで苦はしくはなかった。

レッスンに通い始めて半年ほど経った頃、養成所の声優クラスの1人が結婚する事になった。

その披露宴での司会が、私のデビューだった。

私1人では心もとないという事で、先輩と2人で司会をする事になった。

嫌味な先輩にビシビシしごかれながら、なんとか披露宴は無事に終わった。

私の憧れていた、マイクを使う仕事の人生がスタートした。

養成所を卒業後は、同じ会社の事務所に所属して仕事をもらう形に。

司会だけではなく、ケーブルテレビのレポーターや、ナレーションの仕事もあった。

そこでの仕事はまさに私のやりたかった事の塊で、高揚感に酔い、承認欲求を満たしてくれた。

でも、問題が一つ。

身入りがとてつもなく少ない。

実家暮らしだったので、少ないお給料でもやっていけたが、無言の母からの圧力は年々増してくる。

「結婚するか、しないなら出て行け」

仕事のために着る服や交通費でお給料はきえるので、家に入れるお金なんてない。

「いっそ、フリーランスになろう!」

事務所を通さず直接仕事ができれば、お給料が増えるだろうと言う単純な考えで事務所を辞めた。

身体が浮くのではないかと思うぐらい、軽くなった。

事務所での先輩や社長からのストレスがじわじわと心を痛めつけていたのだった。

そもそも、女の先輩に苦手意識がある私が、完全縦社会の芸能事務所に馴染めるわけがない。

フリーランスになったからには、仕事はなんでもやる。
そんな気持ちでガンガン営業しまくった。

“司会募集”と言う検索でヒットしたところに、ガシガシ連絡を取り、面接させてもらうように頼んだ。

あるスポーツ用具会社のイベント部門長さんに運良くこぎつけ、運動会の司会の仕事をもらった。

大変だしハプニングはたくさん起きたが、充実感は凄かった。

全身に鳥肌が立つ。

アドレナリンがマックスで、仕事終わりは誰かと飲み明かしたい程良い気持ちだった。

ここから数年、私は必死にフリーランス司会者としてがむしゃらに仕事をする。