#5 両親に感謝していること

ごきげんよう!
ご覧いただきありがとうございます。

導入

ちょうどこれを書いているのは6月18日(日)です。
世間では父の日とされており、お店や街では心做しか青系のポスターをよく見るような気がします。
父の日が6月の第3日曜日、母の日が5月の第2日曜日なので、日付が当然毎年変わってなかなか覚えられず、うっかり忘れることがあります。
(近年は確認するのが面倒なので「ぼちぼち母/父の日だから。」といって月初めに何かしらを渡すようにしています。)

一般的に、母/父の日は大概「感謝」を伝える日として知られています。
両親の喧嘩が多い気がしていて、多感な頃は気に病むことも少なからずありましたが、
最近はもはやどうでもいいものとして受け入れたり、聞き流したりする事ができるようになったので 
精神衛生上過ごしやすくなりました。

とはいえ、今後も願わくば楽しく過ごして欲しい父母について、「感謝していること」をテーマに記しておこうと思います。

本編その1

先日、法科大学院のクラスメイトとの会話において
「ツイてないなー」と感じたときのことが話題となりました。
クラスメイトは、様々なツイてない経験を話してくれましたが、私はそう言われた時に何も思いつきませんでした。
仕方がないので「うーん、全然ない」と答えると、
「いや全く無いことないやろ!」「肝心なタイミングでの予期せぬ体調不良とかないん?」と助け舟を出してくれました。

………それならわんさかありますね。

・小学生の時、家族で初めて海遊館に行く日に熱を出し、お出かけが中止に
・中学受験の日に、面接待ちの廊下が寒すぎて風邪をひき、熱で朦朧としながら面接を受ける。面接の翌々日のテストのために、間の1日で詰め込む予定だった赤本を一切触らず受験
・高校の修学旅行の日にインフルエンザに罹患、キャリーケースだけが沖縄の空気を吸って帰宅し、私は人生初の飛行機デビューに失敗
・大学受験の前日にインフルエンザに罹患、第2志望の受験を欠席

思いつくだけでこれだけ出てくるわけです。

これらを一通り話したら「それはツイてないやろ!」と総ツッコミを受けました。

脱線

ちなみに体力はありませんが、身体は健康な方だと思います。
幼稚園の年中さんから高校まで、忌引1回と出席停止2回を除いて皆勤賞です。
これは幼少期にワクチンを全て済ませ、予防接種にしっかり連れていってくれた母への感謝ポイントでもあります。


本編その2

少々脱線してしまいましたが、上記例をみると、
確かにツイてないのかもしれません。
ただ私が自分に対して「ツイてない」と感じたことはほぼありませんし、
なんなら「ツイている」とさえ感じています。
そして、私がこのように感じられることこそが、
まさに両親のおかげなのではないかと考えています。

両親はこういった不測の事態について
「持っている」という表現を昔から使います。
ラッキーなことも、アンラッキーなことも、全て「持っている」の一言で片付けます。

小学校のクラスにテレビ取材が入ったときや、
院生になってから取材を受けたときは、しっかり映してもらい、「ほんまに持ってるな、良かったなあ〜!」と録画していましたし、
高校の修学旅行に行き損ねたときは、
「相変わらず持ってるな、なんでこのタイミングやねん笑」と笑い飛ばしながら慰められました。

なお、後者については、わたし自身が既に「持っている」マインドを手に入れていたので、
(この話題があれば、同窓会はなんとかなるわね…)
という感じでした。
周囲の想像をよそにあまり凹んでいなかったことを覚えています。完全に余談ですね。

「持っている」というこの発想自体は直感的にとても気に入っているのですが、
実のところ何なのか、言葉の使い方として正しいのかは正直よく分かりません。

言い出しっぺの両親に、なぜそういった言い回しをするのか尋ねましたが、
「なんとなく。」と言われてしまい、明瞭な答えは返ってきませんでしたので、
なぜアンラッキーな事象までもが良いことのように転換するのかを少し考えてみました。

なお、前提として、「持っている」という言葉は、どちらかと言えば前向きなニュアンスだとします。(「持つ」ことを善としない価値観もあるので、想定に留めます。)

まず、「トピックの取得」がありそうです。
他の人があまり経験していないことは、話題として昇華しやすく、(ものによっては)面白い話として人を楽しませることが出来るというものです。
関西人なのでこの一面はかなり重要だと感じます。

他にも「落ち込みの軽減」がありそうです。
アンラッキーな出来事は人を落ち込ませることが多いかと思いますが、それを「ツイてない」ではなく「持っている」という曖昧でポジティブな言葉に置き換えることで、「大したことじゃないのではないか」と気持ちを楽にしてくれる効果があると思います。
こちらは少々感覚的で、理論としては横暴かもしれません。

まとめ

私にとって「持っている」は魔法の言葉の1つです。
以前 #2 で語らせて頂いた「汝 光なり」と似ているような気もします。
これまで大して長い人生を生きてきたわけではありませんが、良いことも悪いことも偶発的に起きることがあって、その割合を一切調整出来ないわけでないけれど、避けられない場合も往々にしてあるような気がしています。
逃れられない困難にぶち当たったときに、受け手として捉え方を転換することができるのは、私の強みになるのではないかと思います。
まだまだ未熟な人間には変わりありませんが、
それでも自分の中に好きなところを見いだせるのは嬉しいです。
「持っている」のキーワードを通して、そんな要素を私に与えてくれた(ないしは気付かせてくれた)両親に感謝しています。

今回も最後までお読み頂き、
本当にありがとうございました。

かちょり

追記

私は「言霊」を信じている人間です。
人間が発する言葉はふわふわとしているようで、
自分自身の認識や発想、それを聞いた人に強く干渉する力を秘めていると思います。
だからこそ、私はポジティブな言い換えを好んでいますし、それを実践するよう強く意識しています。
その換言の作業によって、
自他ともに「ヘルシー」さを得られるのではないか、
つまり、
私の気持ちを前に向かせ、周囲においても自発的な推進力を生むのではないかと考えています。
実際にそんな力があるのかは分かりませんが、
それでもこの希望的観測はやめられそうにないので、これからもずっと意識していきたいです。

今回はこの辺りで。
それでは、またこんど!

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