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追憶の彼方へ

「あの、私、ここまで救急車に乗って来ましたよね?」

そう言いながら、自分の身体に何かが貼り付いているのが気になりおもむろにそこへ手をやってみる。それに気付いたイケメン看護士が「それ、もう必要ないので後ほど外しますね。」そう言ってくれた後、「それも覚えているんですね。はい。一度こちらの病院に来られてから、一旦検査のために日赤病院に救急車で行かれて、その後こちらに戻って来られたので」

そう言われて私は、この病室のベットで目覚めるまでの一部始終がすべて現実だったことの確証を得てしまった。私が気にしていた身体に張り付いていたものは、恐らく心拍計の受信部だ。怖くてこれ何ですか?何て気安く聞けない。やはり、私は生死をさ迷ったってことなのだろうか。

「あ、それも覚えています。救急車の扉の前に看護士さん、居ましたよね?」「あ、居ましたね。戻って来られた時は居ました。そこまで覚えているんですね。」さきほど目覚めた後の驚きほどではなかったものの、こんなに冷静沈着そうな看護士さんが驚いている表情を少なからず見せているのだ。私はここに来たとき、普通じゃない状態だったのだろうな、と昨日の自分の記憶の一部始終を思い出していた。

* * *

自分にとって大事なものがあるいは人が居なくなる恐怖感から、私はそれにまつわる夢ばかり見てしまい、その夢が現実になることが怖くて寝れなくなり、それでも異常な眠気に襲われ続け、次第に意識が朦朧となっていく自分がいた。確かにそれを自覚している自分がいて、朦朧としている自分をもう一人の自分が少し上から俯瞰してみているような感覚だった。

その日子どもたちの夕飯が作れなくなってしまった。どうにもこうにもキッチンに立てない。藁にもすがるような気持ちで、夫に連絡をしてみる。しかし、仕事が忙しい様子ですぐには帰れないとの返事だった。

それはそうだ。相方がすぐに帰ってこられるなら、ここまで不安感は募らなかったのかも知れない。『子どもに何か食べさせなければ。私がしっかりしないと。』そういう責任感だけで無理にその異常な眠気を振り払おうとするけれど、どうにも身動きがとれない。『私がしっかりしないと…』

身体は冷や汗をかきはじめ、私はフローリングに座り込んでしまった。恥も罪悪感もかなぐり捨てるような気持ちで、もう一度夫に連絡を取ろうと試みる。間違ってある人に掛けてしまわないようにいつも以上に慎重に注意深くスマホを操作する自分がいる。悪い夢なら覚めてほしい。もしくはこれが夢なら、こんな状態の私を救ってくれるのはいったい本当は誰なのだろうか?

電話口の声が混線して聞こえるはずのない人の声が一瞬したような気がした。

『もしもし?え?何?誰!?…… 誰に掛けてるんだ?ふざけてるのか?』

誰!?… までの声が先ほど間違って掛けないようにしていた人物の声に聞こえた気がして、血の気が引くほど焦ってしまいさすがに自分の正気を疑った。でもそこはすかさず誤魔化して難を逃れた。

私のLINEの文面とその電話口の応対で、私の異変に気がついた夫が直ぐに仕事を切り上げてこれから帰路につくからという連絡がその通話の後LINEで入った。そのLINEを既読して少し肩の荷が降りたような気持ちになった。でも今の自分は何か仕出かしてしまいそうで怖い。どうしたらこの不安感から解放されるのだろうか。もうそのことばかり考えてしまう。

だってこの今の状況すべてが夢であってほしかったから。まだ居なくなってほしくなかったから。

この家の玄関を開けて私を救ってくれる人、私は本当は誰に救ってほしいのだろう?誰に帰ってきてほしいのだろうか。

この間クリスマスは過ぎたばかりなのに、サンタさんに来てほしいような、もしくはこれはドッキリで『まんまと引っ掛かったな!』と言わんばかりにネタばらしを誰かにしに来てほしいような、そんな夢と現実が交錯するような時がただ過ぎていった。

そうこうしているうちに、玄関から誰かが入ってくる気配がした。期待と不安が入り交じったような複雑な気持ちで、玄関からそのままリビングへ入ってくるその姿を私は静かに待った。

つづく

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