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死ぬのがめちゃくちゃ怖いこととあいトリに行ったはなし


死ぬのがめちゃくちゃ怖い。死ぬのがあんまり怖くないとかいう人いるけど全然理解できない。できることなら不老不死になりたいし、肉体が死ぬ前に意識を取りだしてサーバー上にアップロードして永遠に保存されたい。
自分がそう思っていることと、自分の持ってる死生観の関係のことを、あいちトリエンナーレを観ながら考えていた。

死ぬことについて一番モロに扱っていた作品はたぶん「10分遺言」だと思う。自分があと10分しか生きられないという状況を仮定してその10分間で誰かに宛てて書かれた遺言が展示されていた。
遺言はウェブサイトで募集していて、そこでは文章の内容だけではなく、キーボードで文章をタイプするときの打鍵のタイミングが記録されてるっぽい。それがそっくりそのまま展示のモニタと置いてあるキーボードで再現されてて、その場でその人があれこれ考えながら打ち込んでり消したりCtrl+Vでどこかから文章をペーストしたりをやってるみたいな生々しさがあった。


その遺言の内容を見ていて思ったことのひとつに、その人の信仰や宗教観でやっぱり死に対する考え方ってかなり変わるんだなというのがあった。死んだあとにはどこにも行けず何も残らない前提で残された人のことだけを考えて書かれた文章もあれば、死後の世界で会いましょうみたいな文章もあったし、生まれ変わったらどうこうみたいな文章も結構あった。いろんな死生観を持ってる人がいるのは知っているが、そのそれぞれがすごく生っぽい文章やタイピングの痕跡とともに観られるのかなりやばい体験という感じがあった。


あと自分がもうすぐ死ぬ前提の文章がたくさんあってめちゃくちゃ死ぬの怖ッという気持ちになって泣いてしまうかと思った。怖すぎて文章もそれぞれを最初から最後までちゃんと読むことがあんまりできなかった気がする。死、怖すぎてあんまり直視できないみたいな感じがある。

たぶんこの死ぬのがめちゃくちゃ怖いという感情は、特に死後の世界とか生まれ変わりとかないみたいな自分の死生観に由来してる気がする。死後の世界あったら死んでもなんやかんや意識あってなんかできるし楽しいかもしれないし死ぬときの死に方もその過程でしかないけど、あの世とか天国とか地獄とか生まれ変わりとか全くなくて本当にただの無になってしまうのは全く救いがなくて恐ろしい。絶対に無になりたくないという気持ちになる。

観てて死ぬことについて考えてた作品がもう一個あって、ホー・ツーニェンという人の作品で、喜楽亭という元料理旅館みたいな建物の中を巡りながら次々に映像作品を観ていく感じのインスタレーションだった。ざっくりまとめると、戦中に神風特攻隊のうちの何人かが出撃前に喜楽亭に宿泊していた史実と、従軍芸術家として動員された小津安二郎や横山隆一の映像作品、大東亜共栄圏思想に賛同した京都学派の思想などがキュレーターとホー・ツーニェンとの共同リサーチの過程を追いながらクロスオーバーしていくような映像作品という感じだったんだけど、
その神風特攻隊の人たちについて触れているところで軍の命令で自ら死ぬことを強制された人たちの死生観のことを結構考えてしまった。
出撃前の晩にみんなで「同期の桜」を歌ってたみたいな部分があり映像でもその歌詞が引用されていたんだけど、戦争で死んで散っても靖国に咲いて再会しようみたいな内容だった。
あとその特攻隊のひとが親に向けて書いた手紙のなかで、自分は靖国にいるのでまた会いに来てくださいみたいなことを書いてて、ちょっと遠くに引っ越しするみたいだなと思った。
人に自ら死ぬことを強いるって何それメチャクチャやんけ意味わからんと思ってしまうが、実際それが行われていたんだからそれを押し通す以上、あの世あるしそっちでめちゃ報われるからごめんだけどこの世では死んでもらうわみたいなことを信じこませたり信じたりしないとどうにもならなかったんだろうなと思った。

あとホー・ツーニェンの作品とは別だけど、藤井光の日本占領下の台湾での日本語教育を扱った作品でも、国のために命をかけてどうこうみたいなことをいってた気がする。あの世とか生まれ変わりとか信じてると、死のハードルが多かれ少なかれ下がるっぽくて、戦争とそういう思想で人を教化することはセットなんだろうなと思った。

いまは愛知から東京に帰るために夜行バスに乗っている。
夜行バス乗るたびに思うけど、結構な速さで移動してる割にカーテンを締め切ってて外の様子も見えないので、安全性が運転手一人に全部託されている。運転手がミスったら全員死ぬことも全然ありえるし、外が見えない分そうなることを想像する余地がありすぎて、乗ってる間中ずっとうっすら死ぬことを考えてしまうし、場合によってはそれが怖すぎて全然寝れない。
ここでもやっぱり死後の世界とか生まれ変わりとかある感じの思想じゃなくて死=無みたいに思ってることによって、死の怖さが増幅されてる気がする。何かのきっかけでバスが全速力で中央分離帯に突っ込み、横転して頭部をどこかに強く打ち付けたり、何かの破片が身体に刺さって内臓が裂けたり大量に出血したりし、段々意識が遠くなり死ぬみたいなことが結構しっかり想像できてしまうし、そのあとにはどこへもいけずにただただ意識が消えて終わりみたいな感じになることを考えてしまう。怖すぎる。そのせいで全然寝れない。
死後の世界や生まれ変わりを信じている人のほうが、夜行バスに乗るのには向いてるのかもしれい。

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